辨道話(20)

ちかごろ大宋(ダイソウ)に、馮相公(ヒョウ ショウコウ)といふありき。祖道に長(チョウ)ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、みづからをいふにいはく、
「公事
(クジ)の余(ヒマ)に坐禅を喜(コノ)む、曾(カツ)て脇を将(モツ)て牀(ショウ)に到(イタ)して眠ること少(マレ)なり。然も現に宰官の相(ショウ)に出(イズ)ると雖(イエド)も、長老の名、四海(シカイ)に伝わる。」

最近、大宋国に馮という宰相がいました。仏祖の道に優れた高官です。後に詩を作って自ら述懐しました。
「公務の余暇には坐禅を好み、横になって眠ることは少なかった。今は宰相になっているが、不動居士という長老の名が天下に知れ渡っている。」

これは、官務にひまなかりし身なれども、仏道にこころざしふかければ得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし。

この人は、官務で暇のない身でしたが、仏道の志が深かったので悟りを得たのです。このような他の行跡をもって自己を顧み、昔をもって今の手本としなさい。

大宋国には、いまのよの国王大臣、士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門、文家、いづれも参禅学道をこころざせり。

大宋国では、今の世の国王や大臣、庶民の男女が、皆 心を仏祖の道に寄せているのです。武人や文人の誰もが禅を学び仏道を志しているのです。

こころざすもの、かならず心地(シンチ)を開明(カイメイ)することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。

そして志す者は、必ず心の本性を解明することが多いのです。このことで、世俗の務めは仏法を妨げないことが、自然と知られます。

国家に真実の仏法 弘通(グツウ)すれば、諸仏諸天ひまなく衛護するがゆゑに、王化(オウカ)太平なり。聖化(セイカ)太平なれば、仏法そのちからをうるものなり。

国家に真実の仏法が広まれば、すべての仏や天神たちが絶え間なく護ってくださるので、国王の治世は太平なのです。聖帝の治世が太平であれば、仏法はその力を得るものなのです。

又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下(エカ)には、獦者(リョウシャ)、樵翁(ショウオウ)さとりをひらく。いはんやそのほかの人をや。ただ正師(ショウシ)の教道をたづぬべし。

又、釈尊の世に在りし時には、悪逆非道の者が改心して仏道を悟り、祖師の門下では、猟師や樵(キコリ)が悟りを開きました。ましてその他の人はいうまでもありません。ですから、ひたすらに正法の師の教導を尋ねることです。

辨道話(19)へ戻る

辨道話(21)へ進む

ホームへ