辨道話(3)

いはく、大師釈尊(ダイシ シャクソン)、霊山会上(リョウゼンエジョウ)にして法を迦葉(カショウ)につけ、祖祖正伝(ソソ ショウデン)して菩提達磨尊者(ボダイ ダルマ ソンジャ)にいたる。

さて、大師 釈尊(シャクソン)は、霊鷲山(リョウジュセン)の法会(ホウエ)で法を摩訶迦葉(マカカショウ)に授け、その法は祖師から祖師へと正しく伝えられて菩提達磨尊者に至りました。

尊者みづから神丹国(シンタンコク)におもむき、法を慧可大師(エカ ダイシ)につけき。これ東地の仏法伝来のはじめなり。

達磨尊者は自ら中国に赴いて、法を慧可大師に授けました。これが東地中国の仏法伝来の始まりです。

かくのごとく単伝(タンデン)して、おのづから六祖 大鑑禅師(ダイカン ゼンジ)にいたる。このとき、真実の仏法まさに東漢に流演(ルエン)して、節目(セツモク)にかかはらぬむねあらはれき。

釈尊の法は、このように一すじに祖師から祖師へと相伝して、自然に六祖 大鑑慧能(ダイカン エノウ)禅師に至りました。この時、真実の仏法はまさに東方の中国に流伝して、教理の細目に頼らない宗旨が世に知られるようになりました。

ときに六祖に二位の神足(ジンソク)ありき。南嶽(ナンガク)の懐譲(エジョウ)と青原(セイゲン)の行思(ギョウシ)となり。ともに仏印(ブッチン)を伝持(デンジ)して、おなじく人天(ニンデン)の導師なり。

その時六祖には、二人の優れた弟子がいました。南嶽の懐譲と青原の行思です。共に仏心印(仏の悟りの法)を相伝護持して、同じく人間界 天上界の導師となりました。

その二派の流通(ルズウ)するに、よく五門ひらけたり。いはゆる法眼宗(ホウゲンシュウ)、潙仰宗(イギョウシュウ)、曹洞宗(ソウトウシュウ)、雲門宗(ウンモンシュウ)、臨済宗(リンザイシュウ)なり。

その二派が世に広まると、さらに五つの門流が開けました。いわゆる法眼宗、潙仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨済宗です。

見在(ゲンザイ)、大宋(ダイソウ)には臨済宗のみ天下にあまねし。五家(ゴケ)ことなれども、ただ一仏心印なり。

現在、大宋国には臨済宗だけが天下に広く行き渡っています。五家の門流は異なりますが、ただの一つの仏心印(釈尊の悟りの法)を伝えているのです。

大宋国も後漢よりこのかた、教籍(キョウセキ)あとをたれて一天にしけりといへども、雌雄いまださだめざりき。

大宋国にも後漢の時代以来、経典が伝えられて天下に広まりましたが、その教えの優劣を論じて定まることがありませんでした。

祖師西来(ソシ セイライ)ののち、直(ジキ)に葛藤(カットウ)の根源をきり、純一の仏法ひろまれり。わがくにも又しかあらん事をこひねがふべし。

祖師達磨がインドより来てからは、直ちにその問題の根源が断ち切られて、純一な仏法が広まりました。我が国もまた、そうあることを願いなさい。

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