辨道話(4)

いはく、仏法を住持(ジュウジ)せし諸祖ならびに諸仏、ともに自受用三昧(ジジュユウ ザンマイ)に端坐依行(タンザエギョウ)するを、その開悟のまさしきみちとせり。

さて、仏法を伝え相続してきた諸祖師や諸仏は、皆共に自受用三昧(今の自分と一つになること)に正しく坐る修行を、悟りを開く正しい道としてきました。

西天東地(サイテン トウチ)、さとりをえし人、その風にしたがへり。これ、師資(シシ)ひそかに妙術を正伝(ショウデン)し、真訣(シンケツ)を稟持(ボンジ)せしによりてなり。

西天のインドや東地中国で悟りを得た人たちは、皆その習わしに従いました。これは師と弟子とが、ひそかに悟りを開く妙術を正しく伝えて、その秘訣を受け継いできたからなのです。

宗門の正伝にいはく、
「この単伝正直
(タンデン ショウジキ)の仏法は、最上のなかに最上なり。参見知識(サンケン チシキ)のはじめより、さらに焼香、礼拝(ライハイ)、念仏、修懺(シュサン)、看経を(カンキン)もちゐず、ただし打坐(タザ)して身心脱落(シンジン ダツラク)することをえよ。」

宗門の正しい伝統の教えには、
「祖師がひとすじに相伝したこの正直な仏法は、最上の中の最上である。この法を得るには、善知識(優れた師)に参じた最初から、さらに焼香、礼拝、念仏、懺悔、読経などを用いず、但し坐禅して身心を脱落させなさい。」とあります。

もし人、一時なりといふとも、三業(サンゴウ)に仏印(ブッチン)を標(ヒョウ)し、三昧(ザンマイ)に端坐(タンザ)するとき、遍法界(ヘンホッカイ)みな仏印となり、尽虚空(ジンコクウ)ことごとくさとりとなる。 

もし人が、ひと時であっても三業(身と口と心の行い)に仏心印(仏の悟りの法)を示して、三昧に坐禅する時には、全世界が皆 仏心印となり、あらゆる世界は悉く悟りとなるのです。

ゆゑに、諸仏如来をしては本地(ホンジ)の法楽(ホウラク)をまし、覚道(カクドウ)の荘厳(ショウゴン)をあらたにす。

そのために、諸仏は本身の法楽を増して、悟りの道が新たに荘厳されるのです。

および十方法界、三途(サンズ)六道の群類、みなともに一時に身心明浄(シンジン ミョウジョウ)にして、大解脱地(ダイゲダッチ)を証し、

そして、すべての世界の三途(地獄 餓鬼 畜生)六道(地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天上)の人々は、皆共に同時に身心が浄められて、大解脱の境地を悟るのであり、

本来面目(ホンライ メンモク)現ずるとき、諸法みな正覚(ショウガク)を証会(ショウエ)し、万物ともに仏身を使用して、すみやかに証会の辺際(ヘンザイ)を一超して、覚樹王(カクジュオウ)に端坐して、

その本来の自己が現われた時には、あらゆるものが皆 仏の正覚(悟り)を証明して、万物は共に仏身を働かせ、速やかに悟りのほとりを飛び越えて釈尊成道の菩提樹に坐すのであり、

一時に無等等(ムトウドウ)の大法輪を転じ、究竟無為(クキョウ ムイ)の深般若(ジンハンニャ)を開演す。

そして同時に無上の大法を説いて、究極にして無為の深い般若の智慧を演説するのです。

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