行持 下(25)

(ナンジ)見ずや、隠山(インザン)死に至るまで、肯(アエ)て人を見ず。趙州(ジョウシュウ)死に至るまで、肯て人に告げず。

あなた達は聞いたことが無いか。隠山(潭州竜山)は死ぬまで進んで人に会おうとせず、趙州は死ぬまで進んで人に知らせなかった。

匾担(ヘンタン)は橡栗(ショウリツ)を拾うて食(ジキ)とし、大梅(ダイバイ)は荷葉(カヨウ)を以て衣とす。紙衣道者(シエ ドウジャ)は只(タダ)紙を披(キ)、玄太上座(ゲンタイ ジョウザ)は只 布を著(ツ)く。

匾担(暁了)は とちの実や栗を拾って食物にしたのであり、大梅(法常)は 蓮の葉を衣にし、紙衣道者(克符)は ただ紙を着、玄太上座(南嶽玄泰)は ただ麻や綿布を着ていたのである。

石霜(セキソウ)は枯木堂(コボクドウ)を置(タ)てて衆(シュ)と与(トモ)に坐臥(ザガ)す、只 你が心を死了(シリョウ)せんことを要(ヨウ)す。

また石霜(慶諸)は枯木堂(僧堂)を建てて修行僧と共に坐臥し、ひたすら皆の分別心が死にきることを求めたのであり、

投子(トウス)は人をして米(ベイ)を辨(ベン)じ、同じく煮て共に餐(サン)せしむ、你が事を省取(セイシュ)することを得んと要す。

投子(大同)は人に米を調えさせて、修行僧と共に煮炊きし共に食べて、皆の用事を少しでも省こうとしたのである。

(シバラ)く従上(ジュウジョウ)の諸聖(ショショウ)、此(カク)の如くの榜様(ボウヨウ)あり、若(モ)し長処(チョウショ)無くんば、如何(イカン)が甘(アマナ)い得ん。

ひとまず、これらの祖師方は、このような模範を示されたのだ。もしそこに長所が無ければ、どうして自ら進んでしたであろうか。

諸仁者(ショニンジャ)、若し也(マ)た斯(ココ)に於いて体究(タイキュウ)せば、的(マサ)に不虧(フキ)の人也。若し也た肯(アエ)て承当(ジョウトウ)せずんば、向後(コウゴ)深く恐らくは力を費やさん。

諸君、もしここで体得することが出来れば、まことに欠けることのない人となるのである。もし進んで会得を願わなければ、今後おそらくは大いに苦労することであろう。

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