行持 下(38)

たれか諸方にうけざる人あらん、一万鋌(イチマンジョウ)の銀子(ギンス)。ふるき人のいはく、「金銀珠玉、これをみんこと糞土(フンド)のごとくみるべし。」 たとひ金銀のごとくみるとも、不受(フジュ)ならんは衲子(ノッス)の風なり。先師にこの事あり、余人(ヨニン)にこのことなし。

誰か諸方に、一万鋌の銀貨を受け取らない人がありましょうか。昔の人の言うことには、「金銀珠玉を腐った土のように見なさい。」と。このように、たとえ金銀のように見ても、受け取らないのが禅僧の家風です。先師 如浄和尚にこの事があり、他の人には、このような事はありませんでした。

先師つねにいはく、「三百年よりこのかた、わがごとくなる知識いまだいでず、諸人審細に辨道功夫(ベンドウ クフウ)すべし。」

先師は常に言っていました、「三百年この方、私のような指導者はまだ出ていない。諸君よ、おのおの油断することなく修行精進しなさい。」と。

先師の会(エ)に、西蜀(セイショク)の綿州人(メンシュウニン)にて、道昇(ドウショウ)とてありしは、道家流(ドウカリュウ)なり。徒党(トトウ)五人、ともにちかうていはく、「われら一生に仏祖の大道を辨取(ベンシュ)すべし、さらに郷土にかへるべからず。」

先師の道場に、西蜀 綿州の人で、道昇という道家の人がいました。道昇は仲間五人と共に誓って言うことには、「我等は、この一生の中に仏祖の大道を会得するつもりです。それまでは決して郷土に帰りません。」と。

先師ことに随喜して、経行道業(キンヒン ドウゴウ)、ともに衆僧(シュゾウ)と一如(イチニョ)ならしむ。その排列(ハイレツ)のときは、比丘尼(ビクニ)のしもに排立(ハイリュウ)す。希代(キダイ)の勝躅(ショウチョク)なり。

先師はそれを特に喜んで、日常の修行を修行僧たちと同じにしました。又その者たちが並ぶ時には、尼僧の下に並ばせました。これは世にも希な優れた行いでした。

又 福州の僧、その名 善如(ゼンニョ)、ちかひていはく、「善如 平生さらに一歩をみなみにむかひてうつすべからず、もはら仏祖の大道を参ずべし。」

又 福州の僧で、善如と名乗る者も誓って言いました、「私は平生、決して一歩たりとも南の故郷に向いません。専ら仏祖の大道を学ぶつもりです。」と。

先師の会に、かくのごとくのたぐひあまたあり、まのあたりみしところなり。余師のところになしといへども、大宋国の僧宗(ソウシュウ)の行持(ギョウジ)なり。

先師の道場には、このような人たちが多数いたことを、私は目の当たり見てきました。他の師の所にこのような人物はいないけれども、これが大宋国の僧家の行持なのです。

われらにこの心操(シンソウ)なし、かなしむべし。仏法にあふときなほしかあり、仏法にあはざらんときの身心(シンジン)、はぢてもあまりあり。

我等にこの志操のないことを、悲しまねばなりません。仏法に出会った時でさえそうなのですから、仏法に出会わなかった時の我々の身心は、恥じても余りあります。

行持 下(37)へ戻る

行持 下(39)へ進む

ホームへ