行持 上(13)

大梅山(ダイバイサン)は慶元府(ケイゲンフ)にあり、この山に護聖寺(ゴショウジ)を草創(ソウソウ)す、法常禅師(ホウジョウ ゼンジ)その本元(ホンゲン)なり。禅師は襄陽人(ジョウヨウニン)なり。

大梅山は慶元府にあり、この山に護聖寺を草創した法常禅師が開山です。禅師は襄陽の人です。

かつて馬祖(バソ)の会(エ)に参じてとふ、「如何是仏(ニョガ ゼブツ)」と。 馬祖いはく、「即心是仏(ソクシン ゼブツ)」と。 法常このことばをききて、言下大悟(ゴンカ ダイゴ)す。

法常は、以前に馬祖(道一禅師)の道場を訪れて尋ねました。 「仏とは、どのようなものでしょうか。」  馬祖は、「即心是仏(この心がそのまま仏である。)」 と答えました。 法常はこの言葉を聞いて、言下に大悟しました。

ちなみに大梅山の絶頂にのぼりて、人倫(ジンリン)に不群(フグン)なり、草庵に独居す。松実(ショウジツ)を食(ジキ)し、荷葉(カヨウ)を衣(エ)とす。かの山に小池(ショウチ)あり、池に荷(カ)おほし。

そこで法常は、大梅山の絶頂に登って人々に群せず、独り草庵に住みました。そして松の実を食べ、蓮の葉を衣にして日々を送ったのです。その山には小さな池があり、池には蓮がたくさん生えていたのです。

坐禅辨道(ザゼン ベンドウ)すること三十余年なり。人事(ニンジ)たえて見聞(ケンモン)せず、年暦(ネンレキ)おほよそおぼえず、四山青又黄(シザン セイユウコウ)のみをみる。おもひやるは、あはれむべき風霜(フウソウ)なり。

法常は、この地で坐禅修行すること三十年余りでした。その間、世間の事をまったく見聞きせず、年数も覚えることなく、ただ周りの山々が緑や黄色に色付くのだけを見ていました。思えば、気の毒な修行の年月でした。

師の坐禅には、八寸の鉄塔一基を頂上におく。如載宝冠(ニョサイ ホウカン)なり。この塔を落地却(ラクチキャク)せしめざらんと功夫(クフウ)すれば、ねぶらざるなり。

師が坐禅する時には、八寸の鉄塔を頭の上に置いて、宝冠をかぶっているようでした。この塔を落とさないように努めることで、眠らなかったのです。

その塔、いま本山にあり、庫下(クカ)に交割(コウカツ)す。かくのごとく辨道すること、死にいたりて懈惓(ケゲン)なし。

その塔は今、大梅山にあり、護聖寺の庫院に代々引き継がれています。法常禅師は、このような修行を死ぬまで怠らなかったのです。

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