行持 上(17)

五祖山の法演禅師(ホウエン ゼンジ)いはく、師翁(シオウ)はじめて楊岐(ヨウギ)に住せしとき、老屋敗椽(ロウオク ハイテン)して風雨の弊(ヘイ)はなはだし。

五祖山の法演禅師は皆に話した。
私の師、白雲守端和尚(ハクウン シュタン オショウ)が始めて楊岐山に住した時には、寺院の家屋が老朽して、雨漏りや隙間風がひどかった。

ときに冬暮(トウボ)なり、殿堂(デンドウ)ことごとく旧損(クソン)せり。そのなかに、僧堂ことにやぶれ、雪霰満牀(セッサン マンショウ)、居不遑処(キョフコウショ)なり。

ある冬の夕暮れ時のこと、堂宇は皆古く傷んでいたが、その中でも僧堂は特に傷んでいて、雪や霰が床に満ちて、安らかに過ごせなかった。

雪頂(セッチョウ)の耆宿(ギシュク)、なほ澡雪(ソウセツ)し、厖眉(モウミ)の尊年、皺眉(シュウビ)のうれへあるがごとし。衆僧やすく坐禅することなし。

白髪の老僧は雪を浴び、眉の豊かな老人は、顔をしかめて愁えているようであった。修行僧たちは安らかに坐禅することが出来なかったのである。

衲子(ノッス)投誠(トウジョウ)して修造(シュウゾウ)せんことを請せしに、師翁(シオウ)却之(キャクシ)いはく、

そこで修行僧たちは、誠を尽くして僧堂の修築を師に願い出ると、師はそれを退けて言ったのである。

「我が仏、言へること有り。時 減劫(ゲンゴウ)に当たって、高岸深谷(コウガン シンコク)、遷変(センペン)して常ならず。安(イヅ)くんぞ円満如意(エンマン ニョイ)にして、自ら称足(ショウソク)なるを求むることを得んならん。

「我々の釈尊は、このように言われたことがある。時まさに、人の寿命の減りつつある時代にあり、高い崖や深い谷でさえ移り変わって永久ではない。それなのに、どうして全て自分の意のままに満足することを求められようかと。

古往(コオウ)の聖人(ショウニン)、おほく樹下露地(ジュゲ ロジ)に経行(キンヒン)す。古来の勝躅(ショウチョク)なり、履空(リクウ)の玄風なり。

昔の聖人たちは、おおかた樹下や露地で修行されたものである。これが古来の修行者の優れた足跡であり、仏法の空を実践する家風なのである。

なんだち出家学道する、做手脚(サシュキャク)なほいまだおだやかならず。わづかにこれ四五十歳なり、たれかいたづらなるいとまありて、豊屋(ホウオク)をこととせん。」 ついに不従(フジュウ)なり。

お前たちは出家して仏道を学んでいるが、まだ手足の振る舞いさえ穏やかではない。一生に修行出来る年月は、わずか四五十年ほどである。誰に無用な暇があって、立派な建物に専念する時間があろうか。」 と師は言って、遂に修行僧の申し出には従わなかったのである。

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