行持 上(19)

演和尚(エン オショウ)、あるときしめしていはく、「行(ギョウ)は思(シ)を越ゆることなく、思は行を越ゆることなし。」 この語おもくすべし。

法演和尚は、ある時、修行僧に教えて言いました。「行いは思いを越えることなく、思いは行いを越えることがない。」 と。 この言葉を重んじなさい。

日夜に之(コレ)を思い、朝夕(チョウセキ)に之を行(オコナ)ふべし。いたづらに東西南北の風にふかるるがごとくなるべからず。

日夜にこの教えを思い、朝夕にこの教えを行いなさい。いたずらに東西南北の風に吹かれたようになってはいけません。

いはんやこの日本国は、王臣(オウシン)の宮殿(グウデン)なほその豊屋(ホウオク)あらず、わづかにおろそかなる白屋(ハクオク)なり。

言うまでもなく、この日本国は、国王大臣の宮殿でさえ、大きな家ではありません。簡素な茅葺きの家です。

出家学道の、いかでか豊屋に幽棲(ユウセイ)するあらん。もし豊屋をえたる、邪命(ジャミョウ)にあらざるなし、清浄(ショウジョウ)なるまれなり。もとよりあらんは論にあらず、はじめてさらに経営することなかれ。

まして、出家して仏道を学ぶ者が、どうして大きな家に閑居することがありましょうか。もし大きな家を得たならば、それは悪い生活でない者はなく、清浄であることは希です。もとからある場合は問題ではないが、改めて建造してはなりません。

草庵白屋は古聖(コショウ)の所住なり、古聖の所愛なり。晩学したひ参学すべし、たがゆることなかれ。

草庵、茅葺きは昔の聖人の住まいであり、昔の聖人が愛好したものです。晩学後進の人は、この先人を慕い学びなさい。これに背いてはなりません。

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