行持 上(3)

いまの華開葉落(ケカイ ヨウラク)、これ行持の現成(ゲンジョウ)なり。磨鏡破鏡(マキョウ ハキョウ)、それ行持にあらざるなし。

今日の、花が開き、葉が落ちることも、日々の行持の姿です。自らの鏡を磨いて清浄にすることも、その清浄な鏡さえ割って、それに捕らわれないようになることも、行持でないものはありません。

このゆゑに、行持をさしおかんと擬(ギ)するは、行持をのがれんとする邪心をかくさんがために、行持をさしおくも行持なるによりて、行持におもむかんとするは、なほこれ行持をこころざすににたれども、真父(シンプ)の家郷に宝財をなげすてて、さらに他国〇跰(タコク レイヘイ)の窮子(グウジ)となる。

このために、行持を後回しにしようとする者は、行持を逃れたい邪心を隠すために、行持をしないことも行持の一つであると言って、それで仏道修行をしようとするのですが、それは一見行持を志しているように見えますが、父の故郷に財宝を投げ捨てて、困窮して他国にさまよう息子になることなのです。

〇跰(レイヘイ)のときの風水(フウスイ)、たとひ身命を喪失せしめずといふとも、真父の宝財なげすつべきにあらず。

その放浪の時の風雨で、たとえ身命を失わなくても、父の財宝は投げ捨てるべきではありません。

真父の法財なほ失誤(シツゴ)するなり。このゆゑに、行持はしばらくも懈惓(ケゲン)なき法なり。

行持がなければ、父の法財をまた誤って失うことになるのです。このために、行持は暫くも怠ることのない法なのです。

慈父大師(ジフ ダイシ)釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)、十九歳の仏寿より、深山に行持して、三十歳の仏寿にいたりて、大地有情 同事成道(ダイチ ウジョウ ドウジ ジョウドウ)の行持あり。八旬(ハチジュン)の仏寿にいたるまで、なほ山林に行持し、精藍(ショウラン)に行持す。

慈父であり大師である釈尊は、十九歳の時から深山で行持され、三十歳の時には、大地の生きとし生けるものと共に、仏道を成就する行持をされました。そして八十歳に至るまで、そのまま山林で行持され、精舎で行持されたのです。

王宮(オウグウ)にかへらず、国利(コクリ)を領せず。布僧伽梨(フソウギャリ)を衣持(エジ)し、在世に一経(イッキョウ)するに互換(ゴカン)せず、一盂(イチウ)在世に互換せず、一時一日も独処することなし。

故郷の王宮に帰らず、王位を継いで国を治めることもありませんでした。釈尊は、ただ僧衣をまとって一生それを換えず、食事の鉢を一生取り換えず、修行僧と共にあって、一時一日たりとも一人で過ごされることはありませんでした。

人天の閑供養(カンクヨウ)を辞せず、外道(ゲドウ)の訕謗(センボウ)を忍辱(ニンニク)す。おほよそ一化(イッケ)は行持なり。浄衣乞食(ジョウエ コツジキ)の仏儀(ブツギ)、しかしながら行持にあらずといふことなし。

人々が利益のためにする供養を拒まず、外道の誹謗を忍ばれました。およそ釈尊ご一代の教化は、行持の日々でありました。清らかな袈裟を身に着けて、日々人々に食を乞う釈尊でしたが、その行いはすべて行持でないものはなかったのです。

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