行持 上(35)

 いま有道(ウドウ)の宗匠(シュウショウ)の会(エ)をのぞむに、真実請参(シンジツ シンサン)せんとするとき、そのたよりもとも難辨(ナンベン)なり。ただ二十三十箇の皮袋(ヒタイ)にあらず、百千人の面々なり。おのおの実帰(ジッキ)をもとむ。

 現在仏道を実践している宗師の道場を眺めると、真実に師の法を学ぼうとする時には、その学ぶよい機会を得ること自体が最も難しいのです。何故なら、学ぶ者はただの二十人三十人ばかりではなく、百人千人もの人々なのです。その各々が真実の法を求めているのです。

授手(ジュシュ)の日くれなんとす、打舂(タショウ)の夜あけなんとす、あるいは師の普説(フセツ)するときは、わが耳目(ジモク)なくして、いたづらに見聞(ケンモン)をへだつ。耳目そなはるときは、師またときをはりぬ。

そのために、師がそれぞれに手を授けようとすれば日が暮れてしまい、磨き上げようとすれば夜が明けてしまうのです。或いは又、師が説法する時には、それを理解する自分の耳目が無くて、徒に聞き逃してしまい、耳目が具わった時には、師は既に説き終わっているのです。

耆宿尊年(ギシュク ソンネン)の老古錐(ロウコスイ)、すでに拊掌笑呵呵(フショウショウ カカ)のとき、新戒晩進(シンカイ バンシン)のおのれとしては、むしろのすゑと接するたより、なほまれなるがごとし。堂奥(ドウオウ)にいるといらざると、師決(シケツ)をきくときかざるとあり。

また、修行を積んだ先輩の老僧が手を打って談笑している時には、初心後輩の自分としては、法座の末席に連なるよい機会さえ希なのです。このように、法の堂奥に入る者と入らない者と、師の秘訣を聞く者と聞かない者とがあるのです。

光陰(コウイン)は矢よりもすみやかなり、身命は露(ツユ)よりももろし、師はあれども、われ参不得(サンフトク)なるうらみあり。参ぜんとするに、師不得(シフトク)なるかなしみあり。かくのごとくの事、まのあたり見聞せしなり。

月日がたつのは矢よりも速く、身命は露よりも消え易いものです。それなのに、師はあっても、自ら学ぶことが出来ないと恨むことがあり、学ぼうとしても、師がいないと悲しむことがあるのです。このような事を、私は目の当たり見聞きしてきました。

大善知識(ダイゼンチシキ)、かならず人をしる徳あれども、耕道功夫(コウドウ クフウ)のとき、あくまで親近(シンゴン)する良縁まれなるものなり。

優れた師は、必ず人のことを知る力を持っていますが、修行精進する時には、満足するまで親しく近付く良縁は少ないものです。

雪峰(セッポウ)のむかし、洞山(トウザン)にのぼれりけんにも、投子(トウス)にのぼれりけんにも、さだめてこの事煩(ジハン)をしのびけん。

雪峰が昔、洞山を訪ねた時にも、また投子を訪ねた時にも、きっとこの事の煩わしさを耐え忍んだことでしょう。

この行持の法操(ホウソウ)あはれむべし。参学せざらんはかなしむべし。

雪峰のこの行持求法の節操は感嘆すべきものです。これを学ばないことは悲しいことです。

正法眼蔵 行持 上 仁治 癸卯(ミズノト ウ)正月十八日 書写了。同三月八日 校点了。懐弉(エジョウ)

正法眼蔵 行持 上 仁治四年癸卯(西暦1243年)一月十八日 書写し終わる。同年三月八日 校正点検し終わる。懐弉

行持 上 おわり。

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