行持 上(7)

しかあれば、脇尊者(キョウ ソンジャ)、処胎(ショタイ)六十年、はじめて出胎(シュッタイ)せり。胎内の功夫(クフウ)なからんや。

このように、脇尊者は、母の胎内に留まること六十年にして、初めて生まれたと言われます。ですから胎内での精進工夫があったのではないでしょうか。

出胎よりのち、八十にならんとするに、はじめて出家学道をもとむ。託胎(タクタイ)よりのち、一百四十年なり。

尊者は、生まれてから八十歳になろうとする時に、初めて仏道に志して出家を求めました。それは胎内に宿ってから百四十年後のことでした。

まことに不群(フグン)なりといへども、朽老(キュウロウ)は阿誰(アスイ)よりも朽老ならん。処胎にて老年なり、出胎にても老年なり。

まことに群を抜く優れた人でしたが、老いていたことは誰よりも老いていたことでしょう。胎内で老年であり、生まれてからも老年であったのです。

しかあれども、時人(ジニン)の譏嫌(キゲン)をかへりみず、誓願の一志不退なれば、わづかに三歳をふるに、辨道(ベンドウ)現成(ゲンジョウ)するなり。

しかし、当時の人々の謗りを顧みず、誓願の志を貫いたので、わずか三年の間に仏道修行を成就したのです。

たれか見賢思斉(ケンケンシセイ)をゆるくせん、年老(ネンロウ)耄及(モウギュウ)をうらむることなかれ。

誰が、この先賢を見倣いたいと思わないものでしょうか。ですから、自分が老年で耄碌(モウロク)していることを恨みに思ってはいけません。

この生(ショウ)しりがたし。生か、生にあらざるか。老か、老にあらざるか。四見(シケン)すでにおなじからず、諸類(ショルイ)の見おなじからず。

この生は知り難いものです。生であるか生でないか、老であるか老でないかは、見る者によって見方が異なり、人さまざまに考えは同じではありません。

ただ志気(シイキ)を専修にして、辨道功夫すべきなり。辨道に生死(ショウジ)をみるに相似(ソウジ)せりと参学すべし、生死に辨道するにはあらず。

ですから、ただ志を専らにして仏道に精進するべきです。仏道修行の中に生死を見るというように学びなさい。生死の中で修行するのではありません。

いまの人、あるいは五旬(ゴジュン)六旬(ロクジュン)におよび、七旬八旬におよぶに、辨道をさしおかんとするは至愚(シグ)なり。

今の人々で、五十歳六十歳になり、または七十歳八十歳になって、修行を止めようとするのは、大変愚かなことです。

生来(ショウライ)たとひいくばくの年月と覚知すとも、これはしばらく人間の精魂(セイコン)の活計(カッケイ)なり。学道の消息(ショウソク)にあらず。

生まれてから、たとえ どれほど多くの年月を経たといっても、これはただ、人間の日常の営みの年月であり、仏道を学ぶ様子ではありません。

壮齢(ソウレイ)耄及(モウギュウ)をかへりみることなかれ、学道究辨(ガクドウ キュウベン)を一志(イッシ)すべし。脇尊者に斉肩(セイケン)なるべきなり。

自分が若いか年寄りかを顧みてはなりません。ただ仏道を学び究めることに志しなさい。脇尊者と肩を並べて修行することを願いなさい。

塚間(チョウカン)の一堆(イッタイ)の塵土(ジンド)、あながちにをしむことなかれ、あながちにかへりみることなかれ。一志に度取(ドシュ)せずば、たれかたれをあはれまん。

終には墓場の土となるこの身を、強いて惜しんではいけません。強いて顧みてはいけません。自らを志を立てて済度しなければ、誰があなたを哀れむというのでしょうか。

無主の形骸、いたづらに徧野(ヘンヤ)せんとき、眼睛(ガンゼイ)をつくるがごとく正観(ショウカン)すべし。

主のいない亡骸が、空しく山野に散らばる時のことを、眼を付けるようにして正しく観察しなさい。

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