一百八法明門(8)

(いっぴゃくはち ほうみょうもん)

檀度(ダンド)是れ法明門、念念に相好(ソウゴウ)を成就(ジョウジュ)し、仏土(ブツド)を荘厳(ショウゴン)し、慳貪(ケンドン)の諸衆生(ショシュジョウ)を教化(キョウケ)するが故に。

(87)檀度(六度の一。衆生に施すこと)は法明門(聖者の道に入る門)である。それは一念一念ごとに良い相が身に具わって、仏の国を美しく飾り、貪り、物惜しみするすべての衆生を教化するからである。

(六度とは六波羅蜜ともいい、菩薩が修める六種の行で、布施、持戒、忍辱、精進、静慮、智慧のこと。)

戒度(カイド)是れ法明門、悪道の諸難を遠離(オンリ)して、破戒の諸衆生を教化(キョウケ)するが故に。

(88)戒度(六度の二。仏の戒を保つこと)は法明門である。それは悪道(地獄、餓鬼、畜生など)の苦難を離れて破戒の衆生を教化するからである。

忍度(ニンド)是れ法明門、一切の瞋恚(シンニ)、我慢(ガマン)、諂曲(テンゴク)、調戯(チョウゲ)を捨てて、是(カ)くの如きの諸悪の衆生を教化するが故に。

(89)忍度(六度の三。耐え忍ぶこと)は法明門である。それはすべての怒りや我慢、へつらい、からかい等の心を捨てて、このような悪行の衆生を教化するからである。

精進度(ショウジンド)是れ法明門、悉(コトゴト)く一切の諸善法を得て、懈怠(ケダイ)の諸衆生を教化するが故に。

(90)精進度(六度の四。精進努力すること)は法明門である。それはすべての善法を得させ、怠惰な衆生を教化するからである。

禅度(ゼンド)是れ法明門、一切の禅定(ゼンジョウ)、及び諸(モロモロ)の神通(ジンズウ)を成就(ジョウジュ)して、散乱の諸衆生を教化するが故に。

(91)禅度(六度の五。禅定。心を統一して静かに思慮すること)は法明門である。それはすべての禅定、神通力(仏菩薩の無礙自在な働き)を成就して、心の散乱した衆生を教化するからである。

智度(チド)是れ法明門、無明(ムミョウ)の黒暗、及び諸見に著することを断じて、愚癡(グチ)の諸衆生を教化するが故に。

(92)智度(六度の六。智慧)は法明門である。それは無明(真理に暗いこと)の暗黒にさ迷うことや、多くの悪しき見解に執著することを断って、愚かな衆生を教化するからである。

方便是れ法明門、衆生所見の威儀(イイギ)に随って、教化を示現(ジゲン)し、一切の諸仏の法を成就するが故に。

(93)方便(衆生を導くために設けた仮の方法)は法明門である。それは衆生の姿に随って教化することで、衆生にすべての諸仏の法を成就させるからである。

四摂法(シショウボウ)是れ法明門、一切衆生を摂受(ショウジュ)し、菩提(ボダイ)を得已(エオワ)って、一切衆生に法を施すが故に。

(94)四摂法(菩薩が衆生済度のために行う四種の方法)は法明門である。それはすべての衆生を引き入れて菩提(仏の悟り)を得させ、すべての衆生に安楽の法を施すからである。

(四摂法とは、
一、布施。法や財を衆生に施すこと。
二、愛語。親愛の言葉を語ること。
三、利行。衆生を利益する行い。
四、同事。衆生と親しく事を同じくする行い。)

教化衆生是れ法明門、自ら楽を受けず、疲倦(ヒケン)せざるが故に。

(95)衆生を教化することは法明門である。それは自ら楽を受けることなくして、倦み疲れることがないからである。

摂受正法(ショウジュ ショウボウ)是れ法明門、一切衆生の諸煩悩(ショボンノウ)を断ずるが故に。

(96)衆生を正法に引き入れることは法明門である。それはすべての衆生の煩悩を断つからである。

福聚(フクジュ)是れ法明門、一切の諸衆生を利益(リヤク)するが故に。

(97)善根を積み重ねることは法明門である。それはすべての衆生を利益するからである。

修禅定(シュゼンジョウ)是れ法明門、十力(ジュウリキ)を満足するが故に。

(98)禅定(坐禅)を修めることは法明門である。それは十力(仏が具える十種の力)をすべて満たすからである。

(仏の十力とは、
一、是非善悪を弁別する力。
二、善悪業とその果報について知る力。
三、様々な禅定について知る力。
四、衆生の能力の利鈍を知る力。
五、衆生の意向願いを知る力。
六、衆生の各々の性質や心の世界を知る力。
七、善悪業によって赴く世界を知る力。
八、衆生の過去世について知る力。
九、衆生の未来世について知る力。
十、煩悩を滅ぼし尽くすことを知る力。)

寂定(ジャクジョウ)是れ法明門、如来の三昧(ザンマイ)を成就して具足するが故に。 

(99)寂定(心の静寂)は法明門である。それは如来の三昧(精神を統一する禅定)を成就して身に具えるからである。

慧見(エケン)是れ法明門、智慧を成就して満足するが故に。 

(100)慧見(智慧の眼)は法明門である。それは悟りの智慧を成就して満足するからである。

入無礙弁(ニュウムゲベン)是れ法明門、法眼(ホウゲン)を得て成就するが故に。

(101)融通無碍な弁舌は法明門である。それは衆生に法眼(真実を見る智慧の眼)を得させ、仏道を成就させるからである。

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