妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(1)

(ミョウホウレンゲキョウ カンゼオンボサツ フモンボンゲ)

「あらゆる人々の声を聞く菩薩の章」

(ソ)の時に無尽意菩薩(ムジンニ ボサツ)は、偈(ゲ)を以って問うて曰(イ)わく、
「世尊
(セソン)は妙相(ミョウソウ)を具(ソナ)えたまえり。我れ今重ねて彼を問いたてまつる。仏子(ブッシ)は何の因縁(インネン)にて、名づけて観世音と為すや。」

その時に無尽意菩薩は、偈文によって世尊(釈迦牟尼仏)に尋ねた。
「妙相を具えられます世尊よ、私は今、重ねて彼(観世音菩薩)の事をお尋ねいたします。この仏の子(観世音菩薩)は、どういう訳で観世音と呼ばれるのでしょうか。」

妙相を具足したまえる尊は、偈(ゲ)をもって無尽意(ムジンニ)に答えたもう。
「汝、観音の行
(ギョウ)の、善(ヨ)く諸(モロモロ)の方所(ホウジョ)に応ずるを聴け。弘誓(グゼイ)の深きこと海の如くして、劫(コウ)を歴(フ)ること思議(シギ)せられず。多千憶(タセンノク)の仏に侍(ツカ)えて、大清浄(ダイショウジョウ)の願を発(オコ)せり。

妙相を具えた世尊は、偈文によって無尽意菩薩に答えられた。
「無尽意よ、それでは観世音菩薩の救済の行が、あらゆる方面の人々によく応じることを聞きなさい。
この菩薩は海のように深く広大な誓願を起こして、推し量ることさえ出来ない長い時を経て来たのである。
そして幾千億の仏に仕えて、大清浄の誓願を起こしたのである。

我れ汝が為に略して説かん、名を聞き及び身を見、心に念じて空しく過ごさざれば、能(ヨ)く諸有(ショウ)の苦を滅せん。

それではお前のために略して説こう。この菩薩の名を聞いて、また姿を見て、心に念じて空しく過ごさなければ、あらゆる苦を滅することが出来るのである。

仮使(タトイ)、害意を興(オコ)して、大火坑(ダイカキョウ)に推(オ)し落(オト)さんも、彼(カ)の観音の力を念ぜば、火坑変じて池と成(ナ)らん。

かりに人が害する心を起して、大きな火の穴に推し落されたとしても、この観世音菩薩の力を念ずれば、火の穴は池と変わることであろう。

或は、巨海(コカイ)に漂流(ヒョウル)して、龍魚、諸鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ぜば、波浪も没(モッ)すること能(アタ)わじ。

もし巨海に漂流して、龍魚や諸鬼の住む難所に落ちても、この観世音菩薩の力を念ずれば、その波浪も沈めることは出来ないであろう。

或は須弥(シュミ)の峰に在(ア)りて、人の為に推し堕(オト)されんに、彼の観音の力を念ぜば、日の如くにして虚空(コクウ)に住(トド)まらん。

もし須弥山の峰から人に推し落されても、この観世音菩薩の力を念ずれば、日(太陽)のように空中に留まることであろう。

或は悪人に逐(オ)われて、金剛山(コンゴウセン)より堕落(ダラク)せんに、彼の観音の力を念ぜば、一毛(イチモウ)をも損すること能わじ。

もし悪人に追われて金剛山の大石を落されても、この観世音菩薩の力を念ずれば、髪の毛一本も損なうことはないであろう。

或は怨賊(オンゾク)の繞(カコ)んで、各(オノオノ)(ツルギ)を執(ト)りて害を加うるに値(ア)わんに、彼の観音の力を念ぜば、咸(コトゴト)く即ち慈心を起さん。

もし剣を手にした盗賊に囲まれて、害を加えられようとしても、この観世音菩薩の力を念ずれば、皆すぐに情けの心を起こすことであろう。

或は王難(オウナン)の苦に遭(ア)い、刑(ツミ)に臨(ノゾ)んで寿(イノチ)終らんと欲(セ)んに、彼の観音の力を念ぜば、刀 尋(ツ)いで段々に壊(オ)れなん。

もし王の刑罰の苦に遭い、処刑に臨んで命が終わろうとしても、この観世音菩薩の力を念ずれば、すぐにその剣はばらばらに壊れることであろう。

妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(2)へ進む

ホームへ