道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み

谿声山色(1)

(けいせいさんしき)

阿耨菩提(アノク ボダイ)に伝道授業(デンドウ ジュゴウ)の仏祖おほし。粉骨の先蹤即不無(センショウ ソク フム)なり、断臂(ダンピ)の祖宗まなぶべし、掩泥(エンデイ)の毫髪(ゴウハツ)もたがふることなかれ。

仏の無上の悟りを師から伝えて、それを人々に授けた仏や祖師は数多くおられます。そのために粉骨砕身された先人もありました。慧可が自分の臂を断ち切って達磨に教えを乞うたという、その志を学びなさい。また、釈尊が前世に於いて、燃燈仏のために自分の髪を解いて泥に敷いたという、その志に少しでも背いてはいけません。

各々の脱殻(ダッカク)をうるに、従来の知見解会(チケン ゲエ)に拘牽(コウケン)せられず、曠劫未明(コウゴウ ミメイ)の事、たちまちに現前す。恁麼時(インモジ)の而今(ニコン)は、吾も不知(フチ)なり、誰も不識(フシキ)なり。汝も不期(フゴ)なり、仏眼(ブツゲン)も覰不見(ショフケン)なり。人慮(ニンリョ)あに測度(シキタク)せんや。

各人が解脱を得る時には、従来の知識や見解に係わりなく、遥か昔の万物発生以前の様子が、忽ち現れるのです。その時の今の様子は、自分も知らず、誰もが知らないのです。あなたも知ることが出来ないし、仏眼も窺い見ることが出来ないのです。まして人間の思慮で推し量ることなど出来ません。

大宋国に東坡居士(トウバ コジ)蘇軾(ソショク)とてありしは、字(アザナ)は子瞻(シセン)といふ。筆海(ヒッカイ)の真龍(シンリュウ)なりぬべし。仏海(ブッカイ)の龍象(リュウゾウ)を学す。重淵(ジュウエン)にも遊泳す、層雲にも昇降す。

大宋国に東坡居士 蘇軾という人がいて、字は子瞻といい、文筆界の達人でした。この人は仏家の大海の優れた禅僧に学んで、仏法の深い淵にも遊泳し、高い雲にも昇降しました。

あるとき、廬山(ロザン)にいたれりしちなみに、谿水(ケイスイ)の夜流(ヤリュウ)する声をきくに悟道す。偈(ゲ)をつくりて常総禅師(ジョウソウ ゼンジ)に呈するにいはく、

居士はある時、廬山を訪れて、夜の渓流の声を聞いて悟道しました。そこで偈文を作って常総禅師に呈上しました。

谿声(ケイセイ)便(スナワ)ち是れ広長舌(コウチョウゼツ)
山色
(サンシキ)清浄身(ショウジョウシン)に非ざること無し。
夜来
(ヤライ)八万四千の偈、
他日
(タジツ)如何(イカン)が人に挙似(コジ)せん。

渓流の声はそのまま仏のご説法であり、
山の景色は仏の清浄なお姿そのものである。
この昨夜からの八万四千の偈文の経を、
後日 人にどう話せば分かってもらえるであろうか。

この偈を総禅師に呈するに、総禅師 然之(ネンシ)す。総は照覚常総禅師(ショウガク ジョウソウ ゼンジ)なり、総は黄龍慧南禅師(オウリュウ エナン ゼンジ)の法嗣(ハッス)なり。南は慈明楚円禅師(ジミョウ ソエン ゼンジ)の法嗣なり。

この詩を常総禅師に呈上すると、禅師はそのとおりであると認めました。常総とは、照覚常総禅師のことです。常総は黄龍慧南禅師の法を継ぐ人であり、慧南は慈明楚円禅師の法を継ぐ人です。

谿声山色(2)へ進む

ホームへ