袈裟功徳(18)

世尊、若(モ)し我が袈裟、是(カク)の如く五事の聖功徳(ショウ クドク)を成就(ジョウジュ)すること能(アタ)はずんば、則(スナワ)ち十方世界、無量無辺阿僧祇等(ムリョウ ムヘン アソウギトウ)の現在の諸仏を欺誑(ゴオウ)すと為(ナ)す。

世尊(宝蔵仏)よ、もしも私の袈裟によって、この五つの優れた功徳を成就することが出来なければ、私はすべての世界の無数の仏たちを欺くことになります。

(これまでに説かれた仏の袈裟を身に着けることによって得られる五つの優れた功徳。)
  一、仏法僧を尊重し敬うことで無上の悟りに至る。
  二、声聞 縁覚 菩薩の位に至り、退くことが無い。
  三、飲食に満ち足りて飢えることが無い。
  四、人々や八部衆等の争いを悲しんで鎮めることが出来る。
  五、戦乱や争いの難を避けることが出来る。

未来にも応(マサ)に阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラ サンミャク サンボダイ)を成就して、仏事(ブツジ)を作(ナ)すべからず。善法を没失(モッシツ)し、必定(ヒツジョウ)して外道(ゲドウ)を破壊(ハエ)すること能(アタ)はじ。

そうであれば、私は未来に於いても、無上の悟りを成就して人々を導くことはいたしません。何故ならば、善き法を失って、きっと外道を打ち壊すことが出来ないからです。」と。

善男子、爾(ソ)の時に宝蔵如来、金色(コンジキ)の右臂(ウヒ)を申(ノ)べて、大悲菩薩の頂きを摩(ナ)でて、讃(ホ)めて言(ノタマワ)く。

善男子よ、その時に宝蔵如来は、金色の右腕を伸ばして、大悲菩薩の頭を撫でて褒めて言ったのである。

善哉善哉(ゼンザイ ゼンザイ)、大丈夫(ダイジョウブ)、汝が言ふ所は、是れ大珍宝なり、是れ大賢善なり。

「善いかな善いかな、立派な男子よ。お前の願いは、大いなる宝であり、大いなる優れた善である。

汝、阿耨多羅三藐三菩提を成(ジョウ)じ已(オワ)らんに、是(コ)の袈裟服は、能(ヨ)く此(コ)の五聖(ゴショウ)の功徳を成就して、大利益(ダイリヤク)を作(ナ)さん。

お前は無上の悟りを成し遂げて、この袈裟の服は、その五つの優れた功徳を成就して、人々に大きな利益を与えるであろう。」と。

善男子、爾の時に大悲菩薩摩訶薩、仏の讃歎(サンタン)したまふを聞き已りて、心に歓喜を生じ、踊躍(ユヤク)すること無量なり。

善男子よ、その時に大悲菩薩は、宝蔵仏の賛嘆の言葉を聞いて、計り知れない喜びに満たされたのである。

(チナ)みに仏、此の金色の臂を申ぶるに長指合縵(チョウシ ゴウマン)にして、其(ソ)の手の柔輭(ニュウナン)なること、猶(ナ)ほ天衣(テンエ)の如し。其の頭を摩(ナ)で已りて、其の身 即ち状(カタチ)を変じて童子二十歳の人の如し。

その時に、宝蔵仏が金色の腕を伸ばして撫でたその手の指は長く、また柔らかいこと天人の衣のようであった。そして、宝蔵仏が頭を撫で終わると、大悲菩薩は二十歳の若者のように姿が変わったのである。

善男子、彼(カ)の会(エ)の大衆(ダイシュ)、諸天、龍神、乾闥婆(ケンダツバ)、人(ニン)及び非人(ヒニン)、叉手(シャシュ)し恭敬(クギョウ)し、大悲菩薩に向ひて種々の華を供養し、乃至(ナイシ)伎楽(ギガク)して之(コレ)を供養せり。復(マ)た種々に讃歎し已りて、黙然(モクネン)として住(ジュウ)せり。

善男子よ、その時の会衆や諸々の天神、龍神、乾闥婆などの人間や人間にでない者たちは、胸の前に手を組んで恭しく敬い、大悲菩薩に向って様々な花をささげ、伎楽を奏して供養し、そして様々に褒めたたえて沈黙したのである。」

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