袈裟功徳(19)

如来在世(ニョライ ザイセ)より今日にいたるまで、菩薩 声聞(ショウモン)の経律(キョウリツ)のなかより、袈裟(ケサ)の功徳(クドク)をえらびあぐるとき、かならずこの五聖功徳(ゴショウ クドク)をむねとするなり。

釈尊が世に在りし時から今日まで、菩薩(布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧を行じて修行する者)や声聞(仏の説法を聞いて修行する者)の学ぶ経典や戒律の中から、袈裟の功徳を数え上げる時には、必ずこの五つの優れた功徳が第一に挙げられるのです。

まことにそれ、袈裟は三世諸仏の仏衣なり。その功徳無量なりといへども、釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)の法のなかにして袈裟をえたらんは、余仏(ヨブツ)の法のなかにして袈裟をえんにもすぐれたるべし。

まことにこの袈裟は、過去 現在 未来の仏たちが身に着けている仏の衣であり、その功徳は計り知れないものですが、この釈尊の法の中で袈裟を得たならば、その功徳は他の仏の法の中で袈裟を得るよりも優れていることでしょう。

ゆゑいかんとなれば、釈迦牟尼仏むかし因地(インチ)のとき、大悲菩薩摩訶薩(ダイヒ ボサツ マカサツ)として、宝蔵仏(ホウゾウブツ)のみまへにて、五百大願をたてましますとき、ことさらにこの袈裟の功徳におきて、かくのごとく誓願をおこしまします。その功徳、さらに無量不可思議なるべし。

何故ならば、釈尊が過去世で菩薩の修行をしていた時には、大悲菩薩となって宝蔵仏の前で五百の大願を立て、その中で特にこの袈裟の功徳について、このような誓願を起こしたからなのです。そのためにこの功徳は、更に計り知れないものとなったのです。

しかあればすなはち、世尊(セソン)の皮肉骨髄(ヒニク コツズイ)いまに正伝(ショウデン)するといふは、袈裟衣なり。正法眼蔵を正伝する祖師、かならず袈裟を正伝せり。

このように、釈尊の皮肉骨髄を今日に正しく伝えているものは、袈裟の衣なのです。ですから、仏法の真髄を正しく伝える祖師は、必ずこの袈裟を正しく伝えてきたのです。

この衣を伝持(デンジ)し頂戴する衆生(シュジョウ)、かならず二三生(ニサンショウ)のあひだに得道(トクドウ)せり。たとひ戯笑(ケショウ)のため利益(リヤク)のために身に著(ヂャク)せる、かならず得道因縁なり。

この衣を相伝して護持し頂戴する人々は、必ず次の生か、或いは次の次の生までの間に仏道を悟ることが出来るのです。たとえ戯れに袈裟を着けたとしても、或いは自分の利益のために袈裟を身に着けたとしても、それは必ず仏道を悟る因縁となるのです。

袈裟功徳(18)へ戻る

袈裟功徳(20)へ進む

ホームへ