袈裟功徳(27)

日本国には、聖徳太子(ショウトク タイシ)、袈裟を受持(ジュジ)し、法華(ホッケ)勝鬘(ショウマン)等の諸経講説のとき、天雨宝華(テンウ ホウケ)の奇瑞(キズイ)を感得(カントク)す。それよりこのかた、仏法わがくにに流通(ルズウ)せり。

日本国では、聖徳太子が袈裟を受けて護持していました。太子が袈裟を着けて、法華経や勝鬘経などの諸経を講義した時には、天から宝の華が降ってくるという不思議な現象が現れました。それから後、仏法は我が国に広まるようになりました。

天下(テンゲ)の摂籙(ショウロク)なりといへども、すなはち人天(ニンデン)の導師なり。ほとけのつかひとして、衆生(シュジョウ)の父母(ブモ)なり。

太子は、天皇に代わって天下を治める摂政でしたが、世の人々を導く師でもありました。また仏の使者として人々を慈しむ父母でもありました。

いまわがくに、袈裟の体色量(タイ シキ リョウ)ともに訛謬(カビュウ)せりといへども、袈裟の名字(ミョウジ)を見聞(ケンモン)する、ただこれ聖徳太子の御ちからなり。

今、我が国では、袈裟の材料や色形、大きさなどを皆 間違えてはいますが、我々が袈裟の名称を見聞することが出来るのは、ただこの聖徳太子のお力のお陰なのです。

そのとき、邪をくだき正(ショウ)をたてずば、今日かなしむべし。のちに聖武皇帝(ショウム コウテイ)、また袈裟を受持し、菩薩戒をうけまします。

太子が、その時に邪道を砕いて正道を立てなければ、今日の日本は悲しいことになっていたでしょう。後にはまた、聖武天皇が袈裟を身に着けて菩薩戒を受けられました。

しかあればすなはち、たとひ帝位なりとも、たとひ臣下なりとも、いそぎ袈裟を受持し、菩薩戒をうくべし。人身(ニンシン)の慶幸(ケイコウ)、これよりもすぐれたるあるべからず。

このように、たとえ帝王であろうと、たとえ臣下であろうと、急いで袈裟を身に着けて菩薩戒を受けることです。人間の幸福として、これより優れたことはないのです。

有るが言(イワ)く、「在家(ザイケ)の受持する袈裟は、一に単縫(タンポウ)と名づく、二に俗服と名づく。乃(スナワ)ち未だ却刺針(キャクシシン)して縫ふことを用ゐず。」

ある人が言うことには、「在家の人が身に着ける袈裟は、一には単縫と呼ばれ、二には俗服と呼ばれるものである。それは返し針して縫っていない袈裟である。」と。

又言く、「在家道場に趣(オモム)く時、三法衣 楊枝(ヨウジ) 澡水(ソウスイ) 食器(ジキキ) 坐具(ザグ)を具し、応(マサ)に比丘(ビク)」の如く浄行(ジョウギョウ)を修行すべし。」

又言うことには、「在家の者が道場に行く時には、大衣、七条衣、五条衣の三種の法衣や、口を洗浄する楊枝、口を漱ぐ水、食器、敷物の坐具などを用意して、修行僧と同じように清浄な行を修めなさい。」と。

古徳(コトク)の相伝かくのごとし。ただしいま仏祖単伝しきたれるところ、国王 大臣 居士 士民にさづくる袈裟、みな却刺(キャクシ)なり。盧行者(ロアンジャ)すでに仏袈裟を正伝(ショウデン)せり、勝躅(ショウチョク)なり。

昔の徳ある人が言い伝えて来たことは、この通りです。しかしながら、今、仏祖が親しく伝えて来た教えでは、国王大臣や在家の信者の人々に授ける袈裟は、皆、返し針して縫ったものです。五祖弘忍の法を継いだ盧行者(六祖慧能)が、在家の身でありながらその仏袈裟を受けて、正しい伝統を伝えたことは勝れた足跡です。

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