袈裟功徳(29)

世尊 智光比丘(チコウ ビク)に告げて言(ノタマ)はく、
法衣
(ホウエ)は十勝利(ジッショウリ)を得るなり。一つには、能(ヨ)く其(ソ)の身を覆(オオ)うて、羞恥(シュウチ)を遠離(オンリ)し、慚愧(ザンキ)を具足(グソク)して、善法を修行す。

釈尊は、僧の智光に教えて言われました。
袈裟を身に着ければ、十の優れた利益を得ることが出来る。一つには、その身を覆うことで恥ずかしい思いをせず、慚愧の心が具わって善き法を修行することが出来る。

二つには、寒熱および蚊蟲(ブンチュウ)悪獣(アクジュウ)毒蟲(ドクチュウ)を遠離(オンリ)して、安穏(アンノン)に修道(シュドウ)す。

二つには、暑さ寒さ、また、蚊や悪獣、毒虫などから身を守り、安穏に道を修めることが出来る。

三つには、沙門出家(シャモン シュッケ)の相貌(ソウボウ)を示現(ジゲ゙ン)し、見る者 歓喜して、邪心を遠離す。

三つには、出家僧の姿を現わすことで、それを見る者は歓喜して邪心が無くなる。

四つには、袈裟は即ち是れ人天(ニンデン)の宝幢(ホウドウ)の相なり。尊重敬礼(ソンジュウ キョウライ)すれば、梵天(ボンテン)に生じることを得(ウ)

四つには、袈裟は、人間界や天上界の宝(仏法)の旗印である。これを尊重し敬って礼拝すれば、梵天界に生まれることが出来る。

五つには、袈裟を著(ヂャク)する時、宝幢の想を生じ、能(ヨ)く衆罪(シュザイ)を滅し、諸(モロモロ)の福徳を生ず。

五つには、袈裟を着ける時には、自らが仏法という宝の旗印であるという思いが生じて、多くの罪が滅し、多くの福徳が生じるようになる。

六つには、本(モト)袈裟を制するには、染めて壊色(エシキ)ならしむ。五欲の想を離れ、貪愛(トンアイ)を生ぜず。

六つには、本来、袈裟は壊色(くすんだ色)に染めて作るものである。これを身に着ければ、五つの欲(名誉欲 色欲 食欲 財欲 睡眠欲など)の思いを離れて、それを貪り愛する心が生じることはない。

七つには、袈裟は是れ仏の浄衣(ジョウエ)なり。永く煩悩を断じて、良田と作(ナ)るが故に。

七つには、袈裟は、仏が身に着ける清浄な衣である。これを着ければ、永久に煩悩を断って、人々に幸福の収穫を与える良田となることが出来る。

八つには、身に袈裟を著せば、罪業消除(ザイゴウ ショウジョ)し、十善業道(ジュウゼンゴウドウ)、念々に増長す。

八つには、身に袈裟を着ければ、悪しき行いは除かれて、十の善き行いが一念一念ごとに増していくのである。

九つには、袈裟は猶(ナオ)良田の如(ゴト)し、よく菩薩の道(ドウ)を増長するが故に。

九つには、袈裟は多くの収穫を与える良田のようなものである。これを身に着ければ、菩薩の六波羅蜜(布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧)の道をよく増していくからである。

十には、袈裟は猶 甲冑(カッチュウ)の如し、煩悩の毒箭(ドクセン)、害すること能(アタ)はざるが故に。

十には、袈裟は甲冑のようなものである。身に着ける人を、煩悩の毒矢で害することは出来ないからである。

智光 当(マサ)に知るべし、是の因縁(インネン)を以て、三世の諸仏、縁覚声聞(エンガク ショウモン)、清浄(ショウジョウ)の出家は、身に袈裟を著し、三聖(サンショウ)と同じく解脱の宝牀(ホウショウ)に坐す。

智光よ、知りなさい。袈裟にはこのような優れた因縁があるから、過去 現在 未来の諸仏や縁覚(縁起の法を観じて覚る者)、声聞(仏の説法を聞いて悟る者)などの清浄な出家者たちは、袈裟を身に着けるのであり、この功徳によって、三聖(釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩)と同じように解脱の宝座に坐し、

智慧の劔(ケン)を執(ト)り、煩悩の魔を破り、共に一味(イチミ)の諸涅槃界(ショネハンカイ)に入る。

智慧の剣を取って煩悩の魔を破り、皆共に平等の涅槃の世界に入ることが出来るのである。

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