袈裟功徳(31)

この十勝利、ひろく仏道のもろもろの功徳(クドク)を具足せり。長行偈頌(ジョウゴウ ゲジュ)にあらゆる功徳、あきらかに参学すべし。

袈裟の、この十の優れた利益には、広く 仏道のすべての功徳が具わっています。ここに説かれた様々な功徳を明らかにして学びなさい。

披閲(ヒエツ)してすみやかにさしおくことなかれ、句句(クク)にむかひて久参(キュウサン)すべし。

この功徳を読んで、すぐそのままにして置くことはいけません。その一つ一つについて、久しく学んでいきなさい。

この勝利は、ただ袈裟の功徳なり、行者(ギョウジャ)の猛利恆修(ミョウリ ゴウシュ)のちからにあらず。

この優れた利益は、ただ袈裟の功徳によるものであり、修行者の勇猛精進の力によるものではないのです。

仏の言(ノタマ)はく、「袈裟の神力(ジンリキ)は不思議なり。」

釈尊が言うことには、「袈裟の具えている神力は不思議である。」と。

いたづらに凡夫賢聖(ボンプ ケンショウ)のはかりしるところにあらず。おほよそ速証法王身のとき、かならず袈裟を著(ヂャク)せり。

その力は、凡夫や賢人聖人には計り知ることの出来ないものです。およそ速やかに仏身を悟る時には、必ず袈裟を身に着けています。

袈裟を著せざるものの、法王身を証せること、むかしよりいまだあらざるところなり。

袈裟を着けていない者が、仏身を悟った例は、昔からまだないのです。

それ最第一 清浄(ショウジョウ)の衣財(エザイ)は、これ糞掃衣(フンゾウエ)なり。その功徳、あまねく大乗小乗の経律論(キョウ リツ ロン)のなかにあきらかなり。広学咨問(コウガク シモン)すべし。

そもそも、最も第一に清浄な衣(袈裟)は、捨てられたぼろ布で作った糞掃衣です。その功徳は、広く大乗や小乗の教えを説いた経律論の中に明らかに説かれています。その功徳について広く学び、 教えを乞いなさい。

その余の衣財、またかねあきらむべし。仏仏祖祖(ブツブツ ソソ)、かならずあきらめ、正伝(ショウデン)しましますところなり、余類(ヨルイ)のおよぶべきにあらず。

その他の衣についても、また合わせて学び明らかにしなさい。代々の仏や祖師方は、このことを必ず明らかにして正しく伝えてこられたのです。これは他の門流の及ぶ所ではありません。

袈裟功徳(30)へ戻る

袈裟功徳(32)へ進む

ホームへ