袈裟功徳(35)

(ヨ)、在宋(ザイソウ)のそのかみ、長連牀(チョウレンジョウ)に功夫(クフウ)せしとき、斉肩(セイケン)の隣単(リンタン)をみるに、開静(カイジョウ)のときごとに、袈裟をささげて頂上に安じ、合掌恭敬(ガッショウ クギョウ)し、一偈(イチゲ)を黙誦(モクジュ)す。

私が宋国にいたその頃、道場の僧堂で修行している時に、私と肩を並べていた隣の僧が、坐禅の終わる度に袈裟を捧げて頭上に載せ、合掌し敬って一つの偈文を黙唱しているのを見ました。

その偈にいはく、 「大哉解脱服(ダイサイ ゲダップク)、無相福田衣(ムソウ フクデンエ)、被奉如来教(ヒフ ゙ニョライキョウ)、広度諸衆生(コウド ショシュジョウ)。」

その偈文とは、 「大いなるかな解脱の服よ、一切の執着を離れた衣、福を与える田の衣よ、この如来の教えを身に着けたてまつりて、すべての人々を悟りの世界へ渡そう。」でした。

ときに予、未曾見(ミゾウケン)のおもひを生じ、歓喜みにあまり、感涙(カンルイ)ひそかにおちて衣襟(エキン)をひたす。

その時に私は、初めてそれを見ることが出来たという思いで、歓喜のあまり感激の涙が人知れず落ちて衣のえりを濡らしました。

その旨趣(シシュ)は、そのかみ阿含経(アゴンキョウ)を披閲(ヒエツ)せしとき、頂戴袈裟の文(モン)をみるといへども、その儀則(ギソク)をいまだあきらめず。

その訳は、昔 阿含経を読んだ時に、袈裟を頭上に押し頂く文を見たのですが、その作法が分かりませんでした。

いままのあたりみる、歓喜随喜(カンキ ズイキ)し、ひそかにおもはく、「あはれむべし、郷土にありしとき、をしふる師匠なし、すすむる善友あらず。いくばくかいたづらにすぐる光陰(コウイン)ををしまざる。かなしまざらめやは。

今それを目の前で見て、歓喜して密かに思ったのです。 「悲しいことに、私が郷土にいた時には、袈裟の作法を教えてくれる師匠はいないし、袈裟を勧める善友もいなかった。そのために、どれほど多くの時を無駄に過ごしてしまったことか。それが残念であり悲しく思う。

いまの見聞(ケンモン)するところ、宿善よろこぶべし。もしいたづらに郷間にあらば、いかでかまさしく仏衣を相承著用(ソウショウ チャクヨウ)せる僧宝(ソウボウ)に隣肩(リンケン)することをえん。悲喜ひとかたならず、感涙千万行。」

それを今知ることが出来たのは、きっと前世の善根のお蔭であろう。喜ばしいことである。もし無駄に郷土に留まっていれば、このように、正しく袈裟を受け継いで着用する僧と、隣に肩を並べることは無かったであろう。この感激は並ではなく、涙が止めどなく流れるばかりだ。」と。

ときにひそかに発願(ホツガン)す、「いかにしてかわれ不肖(フショウ)なりといふとも、仏法の嫡嗣(テキシ)となり、正法を正伝して、郷土の衆生をあはれむに、仏祖正伝の衣法を見聞せしめん。」

そして、その時 密かに発願しました。 「私は愚かな人間ではあるが、仏法の嫡子となって正法を伝え、郷土の人々を哀れんで、皆に仏や祖師が正しく伝えて来た袈裟や法のことを教えてあげよう。」と。

かのときの発願いまむなしからず、袈裟を受持せる在家出家の菩薩おほし、歓喜するところなり。

その時の発願は、今 無駄ではありません。今では袈裟を護持する在家や出家の菩薩(修行者)が多くいて、私の大きな喜びとなっているからです。

受持袈裟のともがら、かならず日夜に頂戴すべし、殊勝最勝の功徳なるべし。

ですから、袈裟を護持する者たちは、必ず日夜に袈裟を頭上に押し頂いて敬いなさい。袈裟を護持することは最上の優れた功徳なのです。

一句一偈の見聞は、若樹若石(ニャクジュ ニャクセキ)の見聞、あまねく九道(キュウドウ)にかぎらざるべし。袈裟正伝の功徳、わづかに一日一夜なりとも、最勝最上なるべし。

ほんの少しの経を聞くとは、樹木や石の経を聞くことであって、それは広く人間の好む世界に限るものではないのです。このように、袈裟を正しく伝え護持する功徳は、それがたった一日一夜であったとしても、最も優れた最上のものなのです。(この訳不確実)

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