袈裟功徳(5)

後漢の孝明(コウメイ)皇帝、永平十年よりのち、西天東地(サイテン トウチ)に往還(オウゲン)する出家在家、くびすをつぎてたえずといへども、西天にして仏仏祖祖正伝(ブツブツ ソソ ショウデン)の祖師にあふといはず、如来より面授相承(メンジュ ソウジョウ)の系譜(ケイフ)なし。ただ経論師にしたがふて、梵本(ボンポン)の経教(キョウギョウ)を伝来(デンライ)せるなり。

後漢、孝明皇帝の永平十年から、インドと中国を行き来する出家や在家の者は、足繁く絶えることはありませんでしたが、その人達は、誰もインドで仏祖の正しい伝統を受け継ぐ祖師に出会ったとは言いませんでした。ですから、釈尊から代々親しく相承する仏法の系譜を伝えた人はいなかったのです。彼等は、もっぱら経論の師に従って、梵文の経典やその教えを伝来したのです。

仏法正嫡(ブッポウ ショウテキ)の祖師にあふといはず、仏袈裟相伝(ブツケサ ソウデン)の祖師ありとかたらず。あきらかにしりぬ、仏法の閫奥(コンオウ)にいらざりけりといふことを。かくのごときのひと、仏祖正伝の旨あきらめざるなり。

彼等は、仏法の正統な嫡子の祖師に出会ったと言わず、仏の袈裟を相伝する祖師がいるとも語りませんでした。このことから明らかに知られることは、仏法の堂奥には入らなかったということです。この人達は、仏祖の正しい伝統の宗旨を明らかにしていないのです。

釈迦牟尼如来(シャカムニ ニョライ)、正法眼蔵無上菩提(ショウボウゲンゾウ ムジョウボダイ)を摩訶迦葉(マカカショウ)に附授(フジュ)しましますに、迦葉仏正伝(カショウブツ ショウデン)の袈裟、ともに伝授しまします。

釈尊は、仏法の神髄である無上の悟りを摩訶迦葉に授けましたが、その時に迦葉仏の正しい伝統の袈裟も一緒に伝授されました。

嫡嫡相承(テキテキ ソウジョウ)して、曹谿山大鑑禅師(ソウケイザン ダイカン ゼンジ)にいたる、三十三代なり。その体色量(タイ シキ リョウ)親伝せり。

その袈裟は、歴代の祖師が相承して曹谿山の大鑑禅師に至り、伝えられること三十三代でありました。このようにして、仏の袈裟の材料や形、大きさなどが親しく伝えられたのです。

それよりのち、青原(セイゲン)南嶽(ナンガク)の法孫、したしく伝法しきたり、祖宗の法を搭(タッ)し、祖宗の法を製(セイ)す。

その後、青原行思禅師や南嶽懐譲禅師の法孫は、親しく袈裟の法を伝えて、宗祖の法による袈裟を身に着け、宗祖の法による袈裟を仕立ててきたのです。

浣洗(カンセン)の法、および受持の法、その嫡嫡面授(テキテキ メンジュ)の堂奥(ドウオウ)に参学せざれば、しらざるところなり。

袈裟を洗い清める作法や護持する作法は、仏祖が代々親しく伝えてきた堂奥の教えに学ばなければ知ることは出来ないのです。

袈裟功徳(4)へ戻る

袈裟功徳(6)へ進む

ホームへ