帰依三宝(10)

(きえ さんぼう)

  この龍女(リュウニョ)、むかしは毗婆尸仏(ビバシブツ)の法のなかに、比丘尼(ビクニ)となれり。禁戒を破(ハ)すといふとも、仏法の通塞(ツウソク)を見聞(ケンモン)すべし。

  この竜女は、昔、毘婆尸仏の教えによって出家し尼僧となりました。出家の禁戒を破ったけれども、きっと仏法の消息を見聞したことでしょう。

いまはまのあたり釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)にあひたてまつりて、三帰を乞受(コツジュ)す。ほとけより三帰をうけたてまつる、厚殖善根(コウジキ ゼンゴン)といふべし。

そして今 竜女は直接 釈迦牟尼仏にお会いすることが出来て、自ら三帰依(仏陀、仏法、僧団に帰依すること)を願って受けました。このように、仏から三帰依を受けることが出来たのは、多くの善根を植えていたおかげといえましょう。

見仏(ケンブツ)の功徳(クドク)、かならず三帰によれり。われら盲龍(モウリュウ)にあらず、畜身(チクシン)にあらざれども、如来(ニョライ)をみたてまつらず、ほとけにしたがひたてまつりて三帰をうけず、見仏はるかなり、はぢつべし。

仏にお会い出来るという功徳は、必ず三帰依によって得られるのです。我々は盲目の竜でも畜生の身でもないのに、仏にお会いすることもなく、仏に従って三帰依を受けることもなく、仏にお会いする縁が遠いということを、恥なければいけません。

世尊(セソン)みづから三帰をさづけまします。しるべし、三帰の功徳、それ甚深無量(ジンジン ムリョウ)なりといふこと。天帝釈(テンタイシャク)の野干(ヤカン)を拝して三帰をうけし、みな三帰の功徳の甚深なるによりてなり。

世尊(釈尊)は自ら竜女に三帰依を授けられました。このことから、三帰依の功徳は甚だ深く無量であることを知りなさい。帝釈天が野狐を礼拝して三帰依を受けたといわれるのも、すべて三帰依の功徳が甚だ深いからなのです。

  「仏、迦毗羅衛尼拘陀林(カビラエ ニクダリン)に在(ア)りし時、釈摩男(シャクマナン)、仏の所に来至(ライシ)して、是(カク)の如(ゴト)くの言(ゴン)を作(ナ)して云(イハ)く、
「何をか名づけて優婆塞
(ウバソク)と為(ナ)す也(ヤ)。」

  「仏(釈尊)がカビラエ国のニクダ林に居られた時に、釈迦族の摩訶男(マカナン)が仏の所にやって来て、次のように尋ねた。
「どのような人を優婆塞(仏道に帰依し五戒を守る在家信者)と呼ぶのでしょうか。」

仏 即ち為(タメ)に説きたまふ、
「若
(モ)し善男子 善女人有って諸根完具(ショコン カング)し、三帰を受けん、是(コレ)を即ち名づけて優婆塞と為す。」

仏は摩訶男のために説かれた。
「善良な男女で諸根(感覚器官である眼 耳 鼻 舌 身 意の六根)を満足に具え、三帰依を受けた人を優婆塞と呼ぶ。」

釈摩男 言(イ)はく、
「世尊
(セソン)、云何(イカン)が名づけて一分(イチブン)の優婆塞と為すや。」

さらに摩訶男は尋ねた。
「世尊よ、それではどのような人を優婆塞の仲間と呼ぶのでしょうか。」

仏 言(ノタマ)はく、
「摩男
(マナン)、若し三帰を受け、及び一戒を受けんには、是を一分(イチブン)の優婆塞と名づく。」

仏は答えた。
「摩訶男よ、三帰依を受け、そして在家の五戒(不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒)の中の一つを受けたならば、この人を優婆塞の仲間と呼ぶのである。」と。

  仏弟子となること、かならず三帰による。いづれの戒をうくるも、かならず三帰をうけて、そののち諸戒をうくるなり。しかあればすなはち、三帰によりて得戒(トッカイ)あるなり。

  このように、仏弟子となる者は、必ず三帰依を受けるのです。どの戒を受けるにも、必ず三帰依を受けてから、その後に諸戒を受けるのです。ですから、三帰依によって戒が得られるということです。

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