帰依三宝(5)

(きえ さんぼう)

  世尊(セソン)あきらかに一切衆生(イッサイ シュジョウ)のためにしめしまします。衆生いたづらに所逼(ショヒツ)をおそれて、山神(サンジン)鬼神(キジン)等に帰依し、あるいは外道(ゲドウ)の制多(セイタ)に帰依することなかれ。かれはその帰依によりて衆苦(シュク)を解脱(ゲダツ)することなし。

  このように 世尊(釈尊)は、すべての人々のために教え示されました。ですから 世の人々は、徒に窮迫することを怖れて山神や鬼神等に帰依したり、外道(仏教以外の教え)を祭る廟などに帰依してはいけません。彼は、その帰依によって諸苦を解脱することはないのです。

「おほよそ外道の邪教(ジャキョウ)にしたがうて、牛戒(ゴカイ)、鹿戒(ロクカイ)、羅刹戒(ラセツカイ)、鬼戒(キカイ)、瘂戒(アカイ)、聾戒(ロウカイ)、狗戒(クカイ)、雞戒(ケイカイ)、雉戒(チカイ)

また世尊の言われるには、
「およそ外道の邪教に従って、牛戒 鹿戒(牛や鹿の行動に習う戒)、羅刹戒 鬼戒(邪悪な鬼神に習う戒)、瘂戒 聾戒(聾唖の如くする戒)、狗戒 雞戒 雉戒(イヌ、ニワトリ、キジの行動に習う戒)を守ったり、

灰を以て身に塗り、長髪を相と為(ナ)し、羊を以て時を祠(マツ)り、先に咒(ジュ)して後に殺し、四月(ヨツキ)火に事(ツカ)へ、七日 風に服し、百千億華(ケ)もて、諸天に供養し、諸(モロモロ)の欲(ネガ)ふ所の願(ガン)、此(コ)れに因りて成就(ジョウジュ)すといふ。

灰を身体に塗って髪を長く伸ばしたり、羊でもって時の神を祭り、先ず呪(マジナ)いをして後に殺したり、四ヶ月間 火に仕えたり、七日間 風に仕えたり、百千億の華で諸々の天神に供養したりすれば、諸々の願いを成就することが出来ると言うが、

(カク)の如(ゴト)き等の法は、能(ヨ)く解脱の因と為(ナ)らんには、是(コ)の処(コトワリ)有ること無けん。智者の讃(ホ)めざる所、唐(ムナ)しく苦しんで善報なし。」

このような方法は、解脱の因縁とはならない。これらは知者の褒めない行為であり、徒に苦しいばかりで善い報いはないのである。」と。

  かくのごとくなるがゆゑに、いたづらに邪道に帰せざらんこと、あきらかに甄究(ケンキュウ)すべし。たとひこれらの戒にことなる法なりとも、その道理、もし孤樹 制多等の道理に符合(フゴウ)せらば、帰依することなかれ。

  このようなことですから、徒に邪道に帰依してはならないということを明らかに弁えなさい。たとえこれらの戒と異なる法であっても、その道理が若し一樹や廟などの神を祭る道理と一致するのであれば、帰依してはいけません。

人身(ニンシン)うることかたし、仏法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷属(ケンゾク)として一生をわたり、むなしく邪見の流類(ルルイ)として多生(タショウ)をすごさん、かなしむべし。

人間として生まれることは難しく、仏法に出会うことは希なのです。徒に鬼神の一族となって一生を送り、空しくよこしまな考えの部類として、多くの生を過ごすならば、それは悲しいことです。

はやく仏法僧の三宝に帰依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提(ボダイ)を成就すべし。

ですから、すでに「仏陀 仏法 僧団」の三宝に帰依して、多くの苦を解脱するだけでなく、菩提(仏の悟り)を成就するように努めなさい。

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