(くようしょぶつ)
大般涅槃経(ダイハツネハンギョウ)第二十二に云(イハ)く、
「仏の言(ノタマ)はく、善男子、我 過去無量無辺 那由他劫(ナユタゴウ)を念(オモ)ふに、爾(ソ)の時に世界を名づけて娑婆(シャバ)と曰(イ)ふ。
大般涅槃経 第二十二に説かれている。
仏(釈尊)は言われた。「善男子よ、私は無量の過去を思うに、その時 娑婆(忍土)という名の世界があった。
仏世尊(ブツセソン)有り、釈迦牟尼如来(シャカムニニョライ)、応供(オウグ)、正遍知(ショウヘンチ)、明行足(ミョウギョウソク)、善逝(ゼンゼイ)、世間解(セケンゲ)、無上士(ムジョウシ)、調御丈夫(チョウゴジョウブ)、天人師(テンニンシ)、仏世尊と号す。諸(モロモロ)の大衆(ダイシュ)の為に、是(カク)の如くの大涅槃経(ダイネハンギョウ)を宣説(センゼツ)したまふ。
そこには世に尊き仏がおられ、その名を釈迦牟尼如来、応供(供養に値する者)、正遍知(正理を窮め尽くした知者)、明行足(智慧と実践の具わる者)、善逝(善所に行ける者)、世間解(世間を知解する者)、無上士(この上なき優れた人)、調御丈夫(如何なる者でもよく導く人)、天人師(人間や天衆を導く無上の師)、仏世尊(世に尊き仏)と呼ばれた。この仏は、多くの人々のために、このような大涅槃経を説かれた。
我 爾の時に、善友の所より、転じて彼の仏の当に大衆の為に大涅槃を説きたまふを聞けり。
私は、その時に善友から、この仏が人々のために大涅槃を説かれたことを聞いた。
我 是を聞き已(オハ)りて、其の心歓喜し、供養を設けんと欲(オモ)ふに、居(キョ)貧にして物無し。自ら身を売らんと欲へども、薄福にして售(ウ)りえず。
私はこれを聞いて心から喜び、仏に供養の席を設けようと思ったが、家が貧しくて供養するものも無かった。そこで自分の身を売ろうとしたけれども、福徳が薄いので売れなかった。
即ち家に還(カエ)らんと欲ふに、路(ミチ)に一人を見て、而便(スナハ)ち語(ツ)げて言(イハ)く、吾 身を売らんと欲ふ、若(ナンジ)能(ヨ)く買ふや不(イナ)や。
そこで家に帰ろうとすると、道で一人の男に会ったので尋ねた。「私は自分の身を売りたいのだが、あなたは買ってはくれまいか。」
其の人答へて曰く、我が家の作業、人の堪ふる者無し、汝設し能く為さば、我当に汝を買ふべし。
その人は答えて、「我が家の仕事は、耐えられる者がいない。お前がもし出来るのなら、私はお前を買おう。」
我即ち問ふて言く、何の作業有りてか、人の能く堪ふること無きや。
私は尋ねた、「どのような仕事で、人が耐えられないのですか。」
其の人 見答(ケントウ)すらく、吾(ワレ)に悪病有り、良医の処薬、応当(マサ)に日に人肉三両を服すべしと。
その人は答えて、「私には悪い病気があり、良医の処方では、一日に人の肉 三両を服用せよと言われている。
卿(ナンジ)若(モ)し能く身肉三両を以て、日々に見給(ケンキュウ)せば、便ち当に汝に金銭五枚を与ふべし。
お前がもし身体の肉三両を、日々に提供できれば、お前に金銭五枚を与えよう。」
我 時に聞き已りて、心中歓喜しき。
私はこれを聞いて、心の中で喜んだのである。