供養諸仏(17)

(くようしょぶつ)

おほよそ供養に十種あり。いはゆる、一つには身供養(シン クヨウ)。二つには支提供養(シダイ クヨウ)。三つには現前供養(ゲンゼン クヨウ)。四つには不現前供養(フゲンゼン クヨウ)。五つには自作供養(ジサ クヨウ)。六つには他作供養(タサ クヨウ)。七つには財物供養(ザイモツ クヨウ)。八つには勝供養(ショウ クヨウ)。九つには無染供養(ムゼン クヨウ)。十には至処道供養(シショドウ クヨウ)

およそ供養には十種類がある。いわゆる、
一には身供養(仏の身を衣食等で供養する)、
二には支提供養(仏の霊廟を供養する)、
三には現前供養(眼前の仏や霊廟に対してを供養する)、
四には不現前供養(仏や霊廟のないところで仏を供養する)、
五には自作供養(自らが仏や霊廟を供養すること)、
六には他作供養(他の人に仏や霊廟を供養させること)、
七には財物供養(仏や霊廟に衣食や香華、荘厳などの財物を供養すること)、
八には勝供養(仏を供養する最も優れた方法)、
九には無染供養(邪念の無い供養)、
十には至処道供養(自ら仏道を修行することで仏を供養すること)である。

このなかの第一、身供養とは、仏の色身(シキシン)に於て、供養を設(モウ)くるを身供養と名づく。

この中の第一、身供養とは、生身の仏に供養することを言う。

第二に、仏の霊廟(レイビョウ)に供(クウ)ずるを、支提供養と名づく。
僧祗律
(ソウギリツ)に云く、舎利(シャリ)有るをば、名づけて塔婆(トウバ)と為す。舎利無きをば、説いて支提と為す。

第二に、仏の霊廟に供養することを支提供養と言う。
僧祗律(僧の規律を説いたもの)には、舎利(仏骨)のある霊廟を塔婆といい、舎利の無い霊廟を支提というと説いている。

(アルイ)は云く、通じて支提と名づく、又 梵(ボン)に塔婆と云ひ、復た偸婆(チュウバ)と称す。此に方墳(ホウフン)と翻(ホン)し、亦 霊廟と言ふ。阿含(アゴン)に支徴(シタ)と言ふ。

或は、共通して支提と呼ばれている。また梵語(インドのサンスクリット語)では塔婆といい、または偸婆と呼ばれ、ここでは方墳と訳し、また霊廟と言っている。阿含経では支徴(シタ)と言う。

あるいは塔婆と称し、あるいは支提と称する、おなじきににたれども、南岳思大禅師の法華懺法(ホッケセンボウ)に言はく、
「一心敬礼
(イッシンキョウライ)、十方世界、舎利尊像、支提妙塔、多宝如来、全身宝塔。」

このように、ある場合は塔婆と呼び、ある場合は支提と呼んで、同じもののようですが、南岳慧思大禅師の法華懺法には、「一心に、あらゆる世界の舎利と尊像、支提と妙塔、多宝如来の全身を納めた宝塔を敬礼したてまつる。」とあります。

あきらかに支提と妙塔とは、舎利と尊像別なるがごとし。

ここでは、明らかに支提と妙塔と、舎利と尊像とは別のように思われます。

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