供養諸仏(8)

(くようしょぶつ)

はじめ三十億の釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)にあひたてまつりて、尽形寿供養(ジンギョウジュクヨウ)よりこのかた、定光如来(ジョウコウニョライ)にあふたてまつらせたまふまで、みなつねに転輪聖王(テンリンジョウオウ)の身として、尽形寿供養したてまつりまします。

このように釈尊は、昔、最初に三十億の釈迦牟尼仏にお会いして、身命の尽きるまで供養されてから、定光如来にお会いになるまでの間、すべて転輪聖王の身分で、身命を尽して諸仏を供養されたのです。

転輪聖王、おほくは八万歳 已上(イジョウ)なるべし。あるいは九万歳、八万歳の寿量(ジュリョウ)、そのあひだの一切楽具(イッサイラクグ)の供養なり。

転輪聖王であれば、きっと多くは八万歳以上の寿命にちがいありません。或いは九万歳以上かもしれません。その八万歳以上の寿命の間に、あらゆる楽しきもので諸仏を供養されたのです。

定光仏とは、燃燈如来(ネントウニョライ)なり。三十億の釈迦牟尼仏にあひたてまつりまします。仏本行集経(ブツホンギョウジッキョウ)、ならびに仏蔵経(ブツゾウキョウ)の説、おなじ。

定光仏とは燃燈如来のことです。釈尊が過去に三十億の釈迦牟尼仏にお会いしたということは、仏本行集経と仏蔵経に同じく説かれています。

「釈迦菩薩(カショウボサツ)、初阿僧企耶(ショ アソウギヤ)に、七万五千の仏に逢事供養(ホウジクヨウ)したてまつる。最初を釈迦牟尼と名づけ、最後を宝髻(ホウケイ)と名づく。

「釈迦菩薩(過去の釈尊)は、初めの阿僧企耶(菩薩が修行する三つの無数の時の第一)に、七万五千の仏にお会いして仕え供養しました。その最初の仏は釈迦牟尼という名であり、最後の仏は宝髻という名でした。

第二阿僧企耶に、七万六千の仏に逢事供養したてまつる。最初は即ち宝髻、最後を燃燈と名づく。

第二の阿僧企耶には、七万六千の仏にお会いして仕え供養しました。最初の仏は宝髻という名であり、最後の仏は燃燈という名でした。

第三阿僧企耶に、七万七千の仏に逢事供養したてまつる。最初は即ち燃燈、最後を勝観(ショウカン)と名づく。

第三の阿僧企耶には、七万七千の仏にお会いして仕え供養しました。最初の仏は燃燈という名であり、最後の仏は勝観という名でした。

相異熟業(ソウイジュクゴウ)を修(シュ)する九十一劫(ゴウ)の中に於て、六仏に逢事供養したてまつる。最初は即ち勝観、最後を迦葉波(カショウハ)と名づく。」

その後、釈迦菩薩は、因果の法を修する九十一劫(劫は非常に長い時)の中で、六仏に会われて仕え供養されました。最初の仏の名は勝観といい、最後の仏は迦葉波という名でした。」

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