三時業(3)

「第一 順現法受業(ジュンゲンホウジュゴウ)とは、謂(イワ)く、若し業(ゴウ)を此の生(ショウ)に造作し増長して、即ち此の生に於いて異熟果(イジュクカ)を受く、是を順現法受業と名づく。」

「三時業の第一、順現法受業とは、もし善悪の業(行為)を今生に積み重ねて、今生にその果報を受ければ、これを順現法受業と名づける。」

いはく、人ありて、或(アル)いは善にもあれ、悪にもあれ、この生につくりて、即ちこの生にその報をうくるを、順現法受業といふ。

つまり人が善行であれ悪行であれ、今生に為して今生にその果報を受けることを順現法受業と言うのです。

悪をつくりて、この生にうけたる例。
(ムカシ)採樵(サイショウ)の者有り、山に入りて雪に遭い、途路(ミチ)を迷失す。時にたまたま日暮れなり、雪深く寒さ凍えて将に死なんとすること久しからじ。即ち前(スス)んで一の蒙密林中(モウミツリンチュウ)に入るに、即ち一の羆(ヒグマ)を見る。先より林内に在り、形色(ギョウシキ)青紺(ショウコン)にして眼は双炬(ソウコ)の如し。

悪を為して、今生に報いを受けた例。
昔、樵がいました。ある日、樵は山に入って雪に遭い、道を見失いました。時に偶然日暮れであり、雪は深く寒さに凍えてまさに死が迫っていました。そこでさらに進んで、とある密生した林に入ると、一頭の羆に会いました。それは前から林の中にいたようで、体の色は青紺で、眼は二つの松明のように光っていました。

其の人 惶恐(コウキョウ)して当に失命(シツミョウ)せんとす。此れ実に菩薩の羆の身を現受せるなり。其の憂恐(ウキョウ)するを見て、尋(ツ)いで慰諭(イユ)して言(イワ)く。「汝 今怖るること勿れ、父母(ブモ)は子に於いて、或(モ)しは異心有りとも、吾は今 汝に於いて、終(ツイ)に悪意無けん。」と。

樵は怖れおおのいて、死を覚悟しましたが、この羆は実に菩薩の生まれ変わりでした。羆は樵が憂い恐れるのを見て、そこで慰め諭して言いました。「お前は今恐れることは無い。父母がわが子に対して、たとえ悪心を持つようなことがあったとしても、私は今、お前に対して最後まで悪意はない。」と。

即ち前(スス)んで捧げ取って、将(モッ)て窟(イワヤ)の中に入り、其の身を温燸(アタタ)めて、蘇息せしめ已(オワ)りて、諸(モロモロ)の根果を取り、勧めて所食に随はしむ。冷にして消せざらんことを恐れて抱持して臥せり。是(カク)の如く恩養して六日を経たり。

そう言うと、羆は樵を抱きかかえて窟の中に入り、樵の身体を温めて生き返らせ、多くの食べ物を食べさせました。そして身体の冷えることを恐れて抱いて休みました。このように慈しみ世話をして、六日がたちました。

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