三時業(6)

衆生ながくいまの樵人のこころなかれ。林外にして告別するには、「いかがしてこの恩を謝すべき」といふといへども、山のふもとに猟師にあふては、二分の肉をむさぼる。貪欲にひかれて、大恩所を害す。

世の人々は、決してこの樵のような心を起こしてはいけません。樵は林の外で羆に別れを告げるときには、「あなたの御恩に、どう報いたらよいものでしょう。」と言いながら、山の麓で猟師に遭えば、その羆の三分の二の肉を貪ったのです。欲に引かれて大恩ある羆を殺したのです。

在家出家、ながくこの不知恩のこころなかれ。悪業力(アクゴウリキ)のきるところ、両手を断ずること、刀剣のきるよりもはやし。

在家の人も出家の人も、決してこのように恩を知らない心を起こしてはいけません。悪業の力が両手を断ち切るのは、刀で切るよりも速いのです。

此生に善をつくりて、順現法受に、善報をえたる例。
昔 健駄羅国
(ケンダラコク)の迦膩色迦王(カニシカ オウ)に、一(ヒトリ)の黄門(コウモン)有り、恒(ツネ)に内事を監す。暫く城外に出でて、群牛(グンゴ)の数五百に盈(ミツル)有り、来りて城内に入るを見る。

今生に善行を為して、順現法受によって善い果報を得た例。
昔、健駄羅国の迦膩色迦王の所に一人の黄門(宦官)がいて、常日頃 宮中の内務を司っていました。ある日 城外に出ると、五百頭ほどの牛の群れが城内に入って行く姿が見えました。

駆牛(クゴ)の者に問う、「此れは是れ何の牛ぞ。」
答えて言はく、「此の牛は将に其の種を去らんとす。」

そこで牛を追う者に尋ねました。「これらの牛はどういう牛なのか。」
答えるに、「この牛は皆、去勢しに行くところだ。」と。

是に於いて黄門、即ち自ら思惟(シユイ)すらく、「我宿悪業によって、不男(フナン)の身を受く、今応に財を以て、此の牛の難を救うべし。」

この時 黄門は考えました。「思い返せば、私は前世の悪業によって不男の身体に生まれた。今日はお金でもって、この牛の難を救ってやろう。」と。

遂に其の債を償って、悉く脱することを得せしむ。善業力(ゼンゴウリキ)の故に、此の黄門をして、即ち男身(ナンシン)を復せしむ。

そこで黄門はその債務を返し、すべての牛を難からのがれさせました。すると善業の力によって、黄門は男の身体に返ることが出来たのです。

深く慶悦を生じ、尋いで城内に帰り、宮門に侍立(ジリュウ)し、使いに附して王に啓し、入りて奉覲(ブゴン)せんことを請ふ。

黄門は深く喜んで、すぐ城内に帰って王宮の門にかしこまって立ち、使いに言づけて王に拝謁を請いました。

王喚び入れしめ、怪しんで所由(ユエ)を問う。是に於いて黄門、具(ツブサ)に上(カミ)の事を奏す。王聞いて驚喜し、厚く珍財を賜う。転じて高官を授け、外事を知らせしむ。

王は黄門を呼び入れて、いぶかって理由を尋ねると、黄門は詳しくこれまでの出来事を申しあげました。話を聞いた王は大変喜び、たくさんの珍しい財物を黄門に与えて、さらに転職して高い官位を授け外務に当たらせました。

是の如くの善業(ゼンゴウ)は、要(カナラ)ず相続を待って、或いは相続に度(ワタ)りて、方(マサ)に其の果を受く。

このような善業は、必ず現世に因果の相続を待って、或いは因果の相続を現世にわたって、その果報を受けるのです。

三時業(5)へ戻る

三時業(7)へ進む

ホームへ