三時業(7)

あきらかにしりぬ、牛畜(ゴチク)の身、をしむべきにあらざれども、すくふひと、善果をうく。いはんや恩田(オンデン)をうやまひ、徳田(トクデン)をうやまひ、もろもろの善を修せんをや。

この話から明らかに知ることは、牛の身体は大切に思うべきものではないが、それを救った人は善い果報を受けたということです。まして恩田(恩を受けた父母や師長)を敬い、徳田(功徳のある如来や阿羅漢)を敬って多くの善を修めれば、必ずや善い果報を受けることでしょう。

かくのごとくなるを、善の順現法受業(ジュンゲンホウジュゴウ)となづく。善により悪によりて、かくのごとくのことおほかれど、つくしあぐるいとまあらず。

このような例を、善業(善き行い)の順現法受業というのです。善業や悪業によって、このように果報を受けた例は多いのですが、今すべてを取り上げることはできません。

「第二に順次生受業(ジュンジショウジュゴウ)とは、謂(イワ)く、若し業(ゴウ)を此の生に造作増長(ゾウサ ゾウチョウ)して、第二生(ダイニショウ)に於いて異熟果(イジュクカ)を受くる、是を順次生受業と名づく。」

「三時業の第二、順次生受業とは、もし善悪の業(行い)を今生に積み重ねて、第二生(次の生)に果報を受ければ、これを順次生受業と名づける。」

いはく、もし人ありて、この生(ショウ)に五無間業(ゴムゲンゴウ)をつくれる、かならず順次生(ジュンジショウ)に地獄におつるなり。順次生とは、この生の次の生なり。

たとえば、もし人が今生に五無間業(無間地獄に堕ちる五つの罪業)をつくれば、必ず順次生には地獄に堕ちるのです。順次生とは、この生の次の生のことです。

余のつみは、順次生に地獄におつるもあり。また順後次受(ジュンゴジジュ)のひくべきあれば、順次生には大地獄にはおちず、順後業(ジュンゴゴウ)となることもあり。

その他の罪については、順次生に地獄に堕ちるものもあり、また順後次受(次の生以後に果報を受ける)に引き継がれるものがあれば、順次生には大地獄に堕ちずに、順後次受の業となることもあります。

この五無間業は、さだめて順次生受業に地獄におつるなり。順次生、また第二生ともこれをいふなり。

しかしこの五無間業だけは、必ず順次生受業として地獄に堕ちるのです。順次生は、また第二生ともいいます。

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