三時業(8)

五無間業(ゴムゲンゴウ)とは、一には父を殺す、二には母を殺す、三には阿羅漢(アラカン)を殺す、四には仏身の血を出だす、五には和合僧を破る。

五無間業(無間地獄に堕ちる五つの罪業)とは、一には父を殺す、二には母を殺す、三には阿羅漢(悟れる聖者)を殺す、四には仏の身体から血を出す、五には僧団をこわすことです。

この五無間業のなかに、いづれにても一無間業をつくれるもの、かならず順次生(ジュンジショウ)に地獄に堕するなり。

この五無間業の中の、どれでも一つ無間業をつくる者は、必ず順次生(次の生)には地獄に堕ちるのです。

あるいはつぶさに五無間業ともにつくるものあり、いはゆる、迦葉波仏(カショウハ ブツ)のときの華上比丘(ケジョウ ビク)これなり。あるいは一無間業をつくれるものあり、いはゆる、釈迦牟尼仏(シャカムニ ブツ)のとき、阿闍世王(アジャセ オウ)なり、そのちちをころす。

或いは五無間業を全てつくる者もありました。いわゆる迦葉波仏が世に出られた時の華上比丘がこれに当たります。或いは一つ無間業をつくる者もありました。いわゆる釈迦牟尼仏(釈尊)が世に在りし時の阿闍世王であり、父を殺しました。

あるいは三無間業をつくれるものあり、釈迦牟尼仏のときの阿逸多(アイッタ)これなり、ちちをころし、母をころし、阿羅漢をころす。この阿逸多は、在家のときつくる、のちに出家をゆるさる。

或いは三つ無間業をつくる者もありました。釈迦牟尼仏が世に在りし時の阿逸多がこれに当たります。父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺しました。この阿逸多は在家の時に罪をつくりましたが、後に釈尊から出家を許されました。

提婆達多(ダイバダッタ)、比丘として三無間業をつくれり、いはゆる、破僧、出血(スイケツ)、殺阿羅漢なり。あるいは提婆達兜(ダイバダット)といふ、此に天熱と飜(ヤク)す。

提婆達多は比丘(出家)の身で三つの無間業をつくりました。いわゆる破僧(僧団を壊す)、出血(仏身から血を出す)、殺阿羅漢(聖者を殺す)です。彼は又の名を提婆達兜といい、中国では天熱と訳します。

その破僧というは、
「五百の新学愚蒙
(シンガク グモウ)の比丘を伽耶山(ガヤサン)に将いて、五邪法を作りて、法輪僧を破る。

提婆達多の破僧とは、
「提婆達多は、僧団の指導や粛正を釈尊に願い出たが許されなかったので、五百人の道理に暗い新弟子たちをそそのかして伽耶山に連れて行き、五つの邪法を定めた僧団をつくって法輪僧(仏の教えを奉ずる僧団)を分裂させました。

身子(シンシ)之を厭(オサ)えて眠熟せしめ、目連(モクレン)衆を擎(ササ)げて将還(ショウカン)す。

そこで舎利弗は五百人の弟子たちを救うために提婆達多を眠らせ、その間に目連は弟子たちを連れて帰りました。

提婆達多眠りより起きて誓いを発(オコ)し、此の恩に報いんことを誓う。縦(タテ)三十肘(チュウ)、広(ヨコ)十五肘の石を捧(ササ)げて、仏に擲(ナゲウ)つ。山神手を以て石を遮り、小石 迸(ホトバシ)りて仏足を傷つけ、血出づ。」

提婆達多は眠りから覚めると、弟子たちが連れ去られたことを知って、その仕返しを誓いました。そこで縦三十肘(肘はインドの尺度でひじの端から中指の先までの長さ)、横十五肘の石を両手で捧げ持って仏(釈尊)に投げました。時に山神は手でその石を遮りましたが、小石が飛んで仏のみ足を傷つけ、出血しました。」

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