菩提薩埵四摂法(4)

愛語といふは、衆生(シュジョウ)をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛(コアイ)の言語(ゴンゴ)をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。

愛語とは、衆生を見る時に先ず慈愛の心を起こし、愛顧の言葉をかけることです。およそ暴悪な言葉を口にしないことです。

世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重(チンチョウ)のことばあり、不審(フシン)の孝行あり。

世俗には、相手の安否を尋ねる礼儀があり、仏道にも珍重(お体大切に)の言葉や、不審(ご機嫌宜しゅうございますか)という師を敬う挨拶があります。

慈念衆生(ジネン シュジョウ)、猶如赤子(ユウニョ シャクシ)のおもひをたくはへて言語するは愛語なり。

このように、衆生に対して、赤子を慈しむような思いをためて語ることが愛語です。

徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、ようやく愛語を増長するなり。

徳のある人に会えば褒めなさい。徳のない人に会えば哀れみの心を起こしなさい。愛語を好むことによって、次第に愛語を増していくのです。

しかあれば、ひごろしられずみえざる愛語も現前(ゲンゼン)するなり。現在の身命(シンミョウ)の存せらんあひだ、このんで愛語すべし、世世生生にも不退転(フタイテン)ならん。

そうすれば、日頃知られず見えなかった愛語も現れてくるのです。現在の身命のある間に好んで愛語しなさい。そして、未来永劫に退かないようにしなさい。

怨敵(オンテキ)を降伏(ゴウブク)し、君子(クンシ)を和睦(ワボク)ならしむること、愛語を根本とするなり。

怨敵を降伏し、君子を和睦させることも、愛語を根本とするのです。

むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。 むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。

向き合って愛語を聞けば、顔を喜ばせ心を楽しくします。向き合わずに愛語を聞けば、肝に銘じ魂に銘じるものです。

しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子(シュウジ)とせり。

知ることです、愛語は愛心から起こり、愛心は慈悲心を種子としていることを。

愛語よく廻天(カイテン)のちからあることを学すべきなり、ただ能(ノウ)を賞するのみにあらず。

このように、愛語には天を回らすほどの力があることを学びなさい。それはただ能力を褒めるだけのものではないのです。

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