出家功徳(6)

戯女(ケニョ)のむかしは信心にあらず、戯笑(ケショウ)のために比丘尼(ビクニ)の衣を著(ヂャク)せり。おそらくは軽法(キョウホウ)の罪あるべしといへども、この衣をその身に著せしちから、二世に仏法にあふ。

遊女は昔、信心からでなく、笑いふざけるために尼僧の衣を着けました。おそらくは仏法を軽んじる罪があったでしょうが、その衣を身に着けた功徳の力によって、後には二つの世で仏法にあうことが出来ました。

比丘尼衣とは袈裟(ケサ)なり。戯笑著袈裟のちからによりて、第二生(ダイニショウ)に迦葉仏(カショウブツ)のときにあふたてまつる。出家受戒し、比丘尼となれり。

尼僧の衣とは袈裟のことです。遊女は、笑いふざけて着けた袈裟の力によって、次の生には迦葉仏 出世の時に会うことが出来ました。そして出家受戒し、尼僧となったのです。

破戒によりて堕獄受罪すといへども、功徳くちずしてついに釈迦牟尼仏にあひたてまつり、見仏聞法、発心修習して、ながく三界(サンガイ)をはなれて、大阿羅漢(ダイアラカン)となれり、六通(ロクツウ)、三明(サンミョウ)を具足せり、かならず無上道なるべし。

その後、破戒したことで地獄に堕ちて罪を受けたけれども、功徳は朽ちることなく、遂に釈迦牟尼仏に出会い、親しく法を聞いて発心修行し、永く迷いの世界を離れて大阿羅漢になりました。この尼僧は、聖者の智慧である六神通 三明智を得たのです。このように必ず無上道を得るのです。

しかあればすなはち、はじめより一向無上菩提のために、清浄(ショウジョウ)の信心をこらして袈裟を信受せん、その功徳の増長、かの戯女の功徳よりもすみやかならん。

このようでありますから、もし初めから ひたすら無上菩提のために、清浄な信心を起こして 袈裟を拝受すれば、その功徳の増長は、かの遊女の功徳よりも速いことでしょう。

いはんやまた、無上菩提のために菩提心をおこし、出家受戒せん、その功徳無量なるべし。人身(ニンシン)にあらざれば、この功徳を成就することまれなり。

まして、無上菩提のために 菩提心を起こして出家受戒すれば、その功徳は無量にちがいありません。人間でなければ、この功徳を成就することは難しいのです。

西天東土(サイテン トウド)、出家受戒の菩薩祖師おほしといふとも、龍樹祖師(リュウジュ ソシ)におよばず。酔婆羅門、戯女等の因縁、もはら龍樹祖師これを挙(コ)して、衆生の出家受戒をすすむ。龍樹祖師すなはち世尊金口の所記なり。

インドや中国に於いて、出家受戒した菩薩 祖師方は数多くおられますが、龍樹祖師に及ぶ人はいません。この龍樹祖師は、酔ったバラモンや 遊女などの因縁をもっぱら取り上げて、人々に出家受戒を勧めました。龍樹祖師は釈尊の説法をそのまま伝えているのです。

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