現成公案(6)

しかあるがごとく、人もし仏道を修証(シュショウ)するに、得一法(トク イッポウ)通一法(ツウ イッポウ)なり、遇一行(グウ イチギョウ)修一行(シュ イチギョウ)なり。

このようにして、人がもし仏道を修行し悟るならば、一つの物事に会えば、そのことに心を注ぎ、一つのなすべきことに会えば、そのことを専一に行うのです。

これにところあり、みち通達(ツウダツ)せるによりて、しらるるきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究尽(グウジン)と同生(ドウショウ)し同参(ドウサン)するゆゑにしかあるなり。

ここに仏道の場所があり、この道に熟達することによって知られる道の辺りを、自ら知ることがないのは、この知るという行為が、仏法の究極(今この時)と同時に生じ、同時に係り合っているからなのです。

得処(トクショ)かならず自己の知見(チケン)となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。証究(ショウキュウ)すみやかに現成(ゲンジョウ)すといへども、密有(ミツウ)かならずしも見成(ゲンジョウ)にあらず。見成これ何必(カヒツ)なり。

ですから、会得したことが必ず自己の見識となって、心に知られるものと思ってはいけません。究極の悟りは速やかに成就するのですが、その親密な悟りは必ずしも現れるものではありません。それは現れなくてもよいのです。

麻谷山宝徹禅師(マヨクザン ホウテツ ゼンジ)、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、

麻谷山宝徹禅師が扇を使っていると、僧が来て尋ねました。

「風性常住(フウショウ ジョウジュウ)、無処不周(ムショ フシュウ)なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。」

「風の性は変わることなく常にあり、すべて行き渡らない所は無いとされています。それなのに、なぜ和尚様は扇を使っておられるのですか。」

師いはく、「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず。」と。

師は答えました。「おまえはただ、風の性は変わらず常にあることを知ってはいても、まだすべてに行き渡っているという道理を知らないな。」と。

僧いはく、「いかならんかこれ無処不周底(ムショ フシュウテイ)の道理。」ときに師、あふぎをつかふのみなり。僧 礼拝(ライハイ)す。

僧は尋ねました。「それでは、風の性がすべてに行き渡っている道理とは、どういうことでしょうか。」
その時に師は、何も言わずに扇を使っているだけでした。そこで僧は、師を礼拝しました。

仏法の証験、正伝(ショウデン)の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。

仏法の証拠、仏祖の正しい伝統の活路とは、このようなものです。風の性は常にあるので、扇を使うことはない、扇を使わない時にも風を感じるはずである、というのは、風の性が常にあることも知らず、また風の性をも知らないのです。

風性は常住なるがゆゑに、仏家(ブッケ)の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河(チョウガ)の蘇酪(ソラク)を参熟(サンジュク)せり。

風の性は変わることなく常にあるので、仏家の風は大地を黄金にかえ、大河の乳水を醍醐味に熟させるのです。

正法眼蔵 現成公案 これは、天福元年中秋のころ、かきて鎮西(チンゼイ)の俗弟子 楊光秀(ヨウコウシュウ)にあたふ。建長 壬子(ミズノエ ネ)拾勒(シュウロク)

正法眼蔵 現成公案
これは、天福元年(西暦1233年)中秋(陰暦八月)の頃に書いて、九州の俗弟子、楊光秀に与えたものである。
建長四年(西暦1252年)に収録す。

現成公案 おわり

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