行持 下(24)

芙蓉山(フヨウザン)の楷祖(カイソ)、もはら行持見成(ギョウジ ゲンジョウ)の本源なり。国主より定照禅師号(ジョウショウ ゼンジゴウ)ならびに紫袍(シホウ)をたまふに、祖うけず、修表具辞(シュヒョウ グジ)す。国主とがめあれども、師つゐに不受なり。

芙蓉山の道楷祖師(ドウカイ ソシ)は、専ら行持実践の本源とすべき人です。国主から定照禅師号と紫衣を賜ったのですが、師は受けず、書をしたためて辞退しました。国主は咎めましたが、師は遂に受けなかったのです。

米湯(ベイトウ)の法味(ホウミ)つたはれり、芙蓉山に庵(アン)せしに、道俗の川湊(センソウ)するもの、僅(オオヨソ)数百人なり。日食(ニチジキ)粥一杯なるゆゑに、おほく引去(インコ)す。師ちかふて赴斉(フサイ)せず。

薄いお粥を頂いて修行する質素倹約な宗風は世に伝わり、師が芙蓉山に住すると、出家在家の者が四方から集まって、その数は数百人ほどにもなりました。しかし、日々の食事はお粥一杯なので、その多くは去って行きました。また、師は誓って在家のお斎には赴きませんでした。

あるとき、衆(シュ)にしめすにいわく、
「夫
(ソ)れ出家は、塵労(ジンロウ)を厭(イト)ひ生死(ショウジ)を脱せんことを求めんが為なり。心を休め念を息(ヤ)めて攀縁(ハンエン)を断絶す、故に出家と名づく。豈(アニ)等閑(ナオザリ)の利養を以て、平生(ヘイゼイ)を埋没すべけんや。

師はある時、修行の衆に教えて言いました。
「そもそも出家は、煩悩を厭い生死輪廻を脱するためにするのである。心を休め念をやめて外界の縁を断つのである。それで出家と呼ぶのである。その出家が、どうして世間的利益のために平生を埋没してよいであろうか。

(ジキ)に須(スベカ)らく両頭撒開(リョウトウ サッカイ)し、中間放下(チュウゲン ホウゲ)して、声に遇(ア)い色に遇うも、石上(セキジョウ)に華(ハナ)を栽(ウユ)るが如く、利を見、名を見るも、眼中に屑(セツ)を著(ツク)るに似(ニ)たるべし。

直ちに有無、是非、善悪などの両端を開放し、その中間をも手放して、何を聞いても見ても、石の上に花を植えたように根付かず、利益を見ても名声を見ても、それは眼中のゴミのようでなければならない。

(イワ)んや無始(ムシ)従り以来、是れ曾(カツ)て経歴(ケイレキ)せざるにあらず、又是れ次第を知らざるにあらず、頭(コウベ)を飜(ホン)じて尾と作(ナ)すに過(スギ)ず。

まして人は、遥か昔から今まで名利を経験しなかった訳ではないし、又 名利の始終を知らない訳ではない。それはただ頭と尾を取り違えているに過ぎないのだ。

(タダ)(カク)の如くなるに於て、何ぞ須(モチイ)ん苦苦(クク)として貪恋することを、如今(イマ)(ヤメ)ずんば、更に何(イズ)れの時をか待たん。

このようなことを、どうして切に貪り求めることがあろうか。いま止めなければ、一体いつ止めると言うのか。

所以(ユエ)に先聖(センショウ)、人をして只(タダ)今時(コンジ)を尽却(ジンキャク)せんことを要せしむ。能く今時を尽さば、更に何事か有らん。

それ故に、昔の仏祖は、人々にひたすら今という時を尽くすよう求めたのである。よく今という時を尽くせば、さらに何事があろうか。

若し心中無事なることを得ば、仏祖猶ほ是れ冤家(オンケ)の如し。一切の世事、自然(ジネン)に冷淡にして、方(マサ)に始めて那辺(ナヘン)と相応(ソウオウ)せん。

もし心中の無事を得たならば、仏祖でさえ仇のようなものである。そうして一切の世事に自然に冷淡になって、始めて仏道の真実と相応するのである。

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