行持 下(5)

しかあればすなはち、梁(リョウ)より魏(ギ)へゆくことあきらけし。嵩山(スウザン)に経行(キンヒン)して、少林に倚杖(イジョウ)す。面壁燕坐(メンペキ エンザ)すといゑども、習禅にはあらざるなり。

このように、達磨は梁から魏へ行ったことは明らかです。嵩山に行き、少林寺に止まりました。そして壁に向って坐禅しましたが、それは禅定の習錬ではなかったのです。

一巻の経書を将来(ショウライ)せざれども、正法伝来(ショウボウ デンライ)の正主(ショウシュ)なり。しかあるを、史者(シシャ)あきらめず、習禅の篇(ヘン)につらぬるは、至愚(シグ)なり、かなしむべし。

師は一巻の経書も将来しませんでしたが、正法を伝来する正統な教主なのです。しかし、歴史家はこのことを明らかにせず、禅定を習錬する者の部類に並べたことは、まことに愚かであり、悲しむべきことです。

かくのごとくして嵩山に経行するに、犬あり、堯(ギョウ)をほゆ。あはれんべし、至愚なり。

このようにして師は嵩山に行ったのですが、盗人の犬が聖天子の堯を吠えたように、師を誹謗する人がいました。哀れむべき人物であり、まことに愚かなことです。

たれのこころあらんか、この慈恩をかろくせん。たれのこころあらんか、この恩を報ぜざらん。

心ある人ならば、誰がこの師の慈恩を軽んじるものでしょうか。心ある人ならば、誰がこの師の恩に報いないでいられましょうか。

世恩なほわすれず、おもくする人おほし、これを人といふ。祖師の大恩は父母(ブモ)にもすぐるべし、祖師の慈愛は親子(シンシ)にもたくらべざれ。

世間の恩を忘れることなく、大切にする人は多い、これを人と言うのです。祖師の大恩は、父母の恩よりも勝れているのです。祖師の慈愛は、親子にも比べられないものです。

われらが卑賤(ヒセン)、おもひやれば驚怖(キョウフ)しつべし。中土(チュウド)をみず、中華にむまれず、聖(ショウ)をしらず、賢をみず。天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。

日本の我々が卑賤なことは、思えば恐ろしいほどです。中国の国土を見たことが無く、中国という文化国に生まれず、聖人を知らず、賢者を見ず、天上に上った人が未だ無く、人の心はまったく愚かです。

開闢(カイビャク)よりこのかた、化俗(ケゾク)の人なし、国をすますときをきかず。いはゆるは、いかなるか清(セイ)、いかなるか濁(ダク)としらざるによる。

天地が開けて以来、世俗を教え導く人はなく、国が澄んだ時を聞きません。それは、どのようなことが澄むことで、どのようなことが濁ることであるかを知らないからです。

二柄三才(ニヘイ サンサイ)の本末にくらきによりてかくのごとくなり。いはんや五才の盛衰(ジョウスイ)をしらんや。

天子の民を治める賞罰や、天と地と人の本末の道理に暗いからこのようになるのです。まして万物を構成する木火土金水による世の盛衰を知らないのです。

この愚は、眼前の声色(ショウシキ)にくらきによりてなり。くらきことは、経書をしらざるによりてなり、経書に師なきによりてなり。

この愚は、眼の前の見るもの聞くものなどの、万境の真実に暗いことが原因なのです。これに暗いのは、経書を知らないからであり、経書に師がいないからなのです。

その師なしといふは、この経書、いく十巻といふことをしらず、この経、いく百偈(ヒャクゲ)いく千言(センゴン)としらず、ただ文(モン)の説相をのみよむ。いく千偈(センゲ)いく万言(マンゴン)といふことをしらざるなり。

その師がいなければ、この経書は幾十巻ということを知らず、この経は幾百偈、幾千言であると知らずに、ただ文の皮相だけを読むのです。そこに幾千偈、幾万言が説かれていることを知らないのです。

行持 下(4)へ戻る

行持 下(6)へ進む

ホームへ