かくのごとくして年月を経歴(キョウリャク)するに、塩官(エンカン)の会(エ)より一僧きたりて、やまにいりて拄杖(シュジョウ)をもとむるちなみに、迷山路(メイサンロ)して、はからざるに師の庵所にいたる。不期(フゴ)のなかに師をみる。
このようにして年月を経たある日のこと、塩官(斉安国師)の道場から一人の僧が来て、山に入って拄杖(僧の使う杖)にする木を探していると、道に迷って偶然に法常禅師の庵に着きました。そして期せずして師に会ったのです。
すなはちとふ、「和尚(オショウ)この山に住してよりこのかた、多少時也(タショウジヤ)。」
師いはく、「只見四山青又黄(シケン シザン セイユウコウ)。」
この僧またとふ、「出山路(シュッサンロ)、向什麽処去(コウ シモショコ)。」
師いはく、「随流去(ズイリュウコ)。」
そこで僧は尋ねました。「和尚は、この山に住んで、どれほどになりますか。」
師は答えて、「ただ、周りの山々が緑や黄色に色付くのを見ていただけだ。」
僧はまた尋ねました。「山を出る道は、どこへ続いていますか。」
師は答えて、「水の流れのままに続いている。」
この僧、あやしむこころあり。かへりて塩官に挙似(コジ)するに、塩官いはく、「そのかみ江西(コウゼイ)にありしとき、一僧を曾見(ゾウケン)す、それよりのち消息(ショウソク)をしらず。莫是此僧否(マクゼ シソウヒ)。」
この僧は不思議に思い、帰って塩官に話すと、塩官は言いました。「昔、私が江西(馬祖道一禅師)の所にいた時、ある僧に会ったことがある。その後の消息は知らないが、それはこの僧ではなかろうか。」
つひに僧に命じて師を請(ショウ)するに、出山(シュッサン)せず。偈(ゲ)をつくりて答するにいはく、
「摧残(サイザン)せる枯木(コボク)、寒林に倚(ヨ)る。
幾度(イクタビ)か春に逢うて心を変ぜず。
樵客(ショウカク)、之(コレ)に遇うて猶(ナオ)顧(カエリ)みず。
郢人(エイジン)、那(ナン)ぞ苦(ネンゴロニ)追尋(ツイジン)することを得ん。」つひにおもむかず。
そこで塩官は、僧に命じて師を招いたところ、師は山を下りずに詩を作って答えました。
「切り残された枯れ木が、冬の林に立っている。
この木は何度春を迎えても、心を変えることはなかった。
樵でさえ、この木を見て相手にしないのに、
大工さんが、どうしてそれを求めることが出来ましょうか。」
師は遂にその招きに応じませんでした。