行持 上(20)

黄帝(コウテイ)、堯(ギョウ)、舜(シュン)等は、俗なりといへども草屋(ソウオク)に居(コ)す、世界の勝躅(ショウチョク)なり。

黄帝や堯帝 舜帝などは俗人でしたが、草葺きの家に住みました。これは世界の優れた先人の足跡です。

尸子(シシ)に曰(イハ)く、
「黄帝の行
(ギョウ)を観(ミ)んと欲(オモ)はば、合宮(ゴウキュウ)に於いてすべし。堯舜(ギョウシュン)の行を観んと欲はば、総章(ソウショウ)に於いてすべし。黄帝の明堂(メイドウ)は、草を以て之(コレ)を蓋(フ)く、名づけて合宮と曰(イ)ふ。舜の明堂は、草を以て之を蓋く、名づけて総章と曰ふ。」

尸子には、このように述べられています。
「黄帝の行いを見たければ、合宮を見なさい。堯帝、舜帝の行いを見たければ、総章宮を見なさい。黄帝が政務を執った宮殿は草で葺かれ、名付けて合宮といい、舜帝が政務を執った宮殿は草で葺かれ、名付けて総章宮といわれた。」と。

しるべし、合宮、総章は、ともに草をふくなり。いま黄帝、堯、舜をもて、われらにならべんとするに、なほ天地の論にあらず。これなほ草蓋(ソウガイ)を明堂とせり。

知ることです、合宮や総章宮は、共に草葺きだったのです。この黄帝 堯帝 舜帝と、我々の身分とを比べれば、それは天地の比ではありません。それでも彼らは草葺きの宮殿で政務を執り行ったのです。

俗なほ草屋に居す、出家人いかでか高堂大観(コウドウ タイカン)を所居(ショコ)に擬(ギ)せん、懺愧(ザンキ)すべきなり。古人(コジン)の樹下に居し、林間にすむ、在家、出家ともに愛する所住なり。

俗人でさえ草葺きの家に住むのです。出家の人が、どういう訳で大きくて立派な建物に住もうとするのでしょうか。恥じるべきです。昔の人が樹下や林間に住んだのは、在家者も出家者も、共に好んだ住所であったからです。

黄帝は崆峒道人広成(コウドウ ドウニン コウセイ)の弟子なり。広成は崆峒といふ巌(イワ)のなかにすむ。いま大宋国の国王、大臣、おほくこの玄風をつたふるなり。

黄帝は、崆峒山(コウドウサン)の道人、広成の弟子です。広成は、崆峒という岩の中に住んでいました。今の大宋国の国王や大臣たちは、大方この気風を伝えているのです。

しかあればすなはち、塵労中人(ジンロウチュウニン)なほかくのごとし。出家人いかでか塵労中人よりも劣ならん、塵労中人よりもにごれらん。

このように、俗世間の人でさえこうなのです。出家の人がどうして俗世間の人よりも劣ってよいものでしょうか。俗世間の人たちよりも汚れてよいものでしょうか。

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