行持 上(30)

祖席(ソセキ)の英雄は臨済(リンザイ)徳山(トクサン)といふ。しかあれども、徳山いかにしてか臨済におよばん。

祖師の中で傑出した人物は、臨済(義玄)と徳山(宣鑑)であるといわれます。しかし、徳山はどうして臨済に及びましょうか。

まことに臨済のごときは、群に群せざるなり。そのときの群は、近代の抜群よりも抜群なり。

まことに臨済のような人物は、修行者の中でも跳び抜けた人でした。しかもその時代の修行者は、近代の抜群の修行者よりも優れていたのです。

行業(ギョウゴウ)純一にして行持(ギョウジ)抜群せりといふ。幾枚幾般(イクマイ イクハン)の行持なりとおもひ擬(ギ)せんとするに、あたるべからざるものなり。

臨済の行いは純一で、その修行は抜群であったと言われます。どれほど様々な行持をされたかを想像し推量しようとしても、出来るものではありません。

師、黄檗(オウバク)に在(ア)りしとき、黄檗と与(トモ)に杉松(サンショウ)を栽(ウ)うる次(ツイ)でに、黄檗、師に問うて曰(イハ)く、「深山の裏(ウチ)に許多(ソコバク)の樹を栽えて作麽(ナニカセン)。」
師曰く、「一には山門の与
(タメ)に境致(キョウチ)と為(ナ)し、二には後人の与に標榜(ヒョウボウ)と為す。」 乃(スナハ)ち鍬(クワ)を将(モッ)て地を拍(ウ)つこと両下(リョウゲ)す。

臨済が黄檗禅師の所にいた時、黄檗と共に杉や松を植える作業をしていると、黄檗は臨済に尋ねました。「この山奥にたくさんの木を植えてどうしようというのかね。」
臨済は答えて、「一つには、この寺のために境内の風光とし、二つには、後世の人のために目印とするのです。」 そう言って鍬で地面を二度打ちました。

黄檗、拄杖(シュジョウ)を拈起(ネンキ)して曰く、「然(シカ)も是(カク)の如くなりと雖も、汝 已(スデ)に我が三十棒を喫(キッ)し了(オワ)れり。」
師、嘘嘘声
(キョキョセイ)をなす。黄檗曰く、「吾(ワ)が宗、汝に到って大いに世に興らん。」

すると黄檗は杖を手に取って言いました。「そう答えても、お前はとっくに私の三十棒を受けてしまったぞ。」
臨済はハーッと大きく息を吐きました。
黄檗は言いました。「私の教えは、お前の代で大いに世に興るであろう。」

しかあればすなわち、得道ののちも杉松などをうゑけるに、てづからみづから鍬柄(シュウヘイ)をたづさへけるとしるべし。

このように、臨済は悟りを得た後も、杉や松を植えるのに、わざわざ自分の手で鍬を取ったことを知りなさい。

吾宗到汝大興於世(ゴシュウ トウニョ ダイコウ オセ)、これによるべきものならん。

黄檗の「私の教えは、お前の代で大いに世に興るであろう。」 という言葉も、臨済のこの修行力によるものでしょう。

栽松道者(サイショウ ドウシャ)の古蹤(コショウ)、まさに単伝直指(タンデン ジキシ)なるべし、黄檗も臨済とともに栽樹(サイジュ)するなり。

臨済は、栽松道者と呼ばれた五祖 大満(ダイマン)禅師の行跡を、まさにそのまま伝えているのです。黄檗も臨済と共に木を植えたのです。

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