行持 上(32)

武宗(ブソウ)あるとき宣宗(センソウ)をめして、昔日(セキジツ)ちちのくらゐにのぼりしことを罰して、一頓打殺(イットン タセツ)して、後華園(コウカエン)のなかにおきて、不浄(フジョウ)を灌(カン)するに復生(フクセイ)す。

武宗はある日 宣宗を呼びつけて、昔 父の玉座に上ったことを罰して一息に打ち殺し、後華園の中に置いて小便をかけると、宣宗は生き返りました。

つひに父王の邦(クニ)をはなれて、ひそかに香厳(キョウゲン)の閑禅師(カンゼンジ)の会(エ)に参じて、剃頭(テイヅ)して沙弥(シャミ)となりぬ。しかあれども、いまだ不具戒(フグカイ)なり。

宣宗は、ついに父王の国を離れて密かに香厳寺の智閑禅師の道場に入門し、髪を剃り落として沙弥(見習い僧)となりました。しかし、まだ僧の具足戒を受けていませんでした。

智閑(シカン)禅師をともとして遊方(ユホウ)するに、廬山(ロザン)にいたる。ちなみに智閑みづから瀑布(バクフ)を題していはく、
「崖
(ガケ)を穿(ウガ)ち石を透(トオ)して労を辞せず、遠地(エンチ)(マサ)に知りぬ出処(シュッショ)の高きことを。」
この両句をもて沙弥を釣他
(チョウタ)して、これいかなる人ぞとみんとするなり。

沙弥の宣宗は、智閑禅師と共に遊行して廬山に至りました。そのとき智閑は、自ら滝を題して詠じました。
「崖を穿ち、石を砕いて疲れを知らず。遠方なれば、まさしくその滝口の高きを知る。」
この詩で沙弥を釣って、どんな人物か試してみたのです。

沙弥これを続(ゾク)していはく、「渓澗(ケイカン)(アニ)(ヨ)く留(トド)め得て住(トド)めんや、終(ツイ)に大海に帰(キ)して波濤(ハトウ)と作(ナ)る。」
この両句をみて、沙弥はこれつねの人にあらずとしりぬ。

沙弥は、これに続けて詠じました。「渓流は、どうして止めることが出来ようか。終には大海に集まり波浪となる。」
智閑はこの詩を聞いて、沙弥が普通の人でないことを知りました。

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