行持 上(6)

脇尊者(キョウ ソンジャ)、生年(ショウネン)八十にして捨家染衣(シャケ センネ)せんと垂(ス)。城中の少年、便(スナワ)ち之(コレ)を誚(セ)めて曰く、

脇尊者は、八十歳になって出家しようとしました。すると市中の若者が、これを責めて言いました。

「愚夫朽老(グフ キュウロウ)なり、一(ヒトエ)に何ぞ浅智(センチ)なる。夫れ出家は、二業(ニゴウ)有り。一には則(スナワチ)習定(シュウジョウ)、二には乃ち誦経(ジュキョウ)なり。而今(イマ)衰耄(スイモウ)せり、進取(シンシュ)する所無けん。濫(ミダ)りに清流に迹(アト)し、徒(イタズラ)に飽食(ホウジキ)することを知らんのみ。」

「愚かな年寄だ、なんて浅はかなんだろう。そもそも出家には二つの務めがある。一つは坐禅であり、二つには経文を唱えることである。そんな老いぼれた身では、何一つ出来ないであろう。むやみに清浄な出家の仲間に入っても、無駄に徒食することになるだけだ。」と。

時に脇尊者、諸々の譏議(キギ)を聞いて、因みに時の人に謝して、而(シカ)も自ら誓って曰く、

その時に脇尊者は、多くの非難の言葉を聞いて、その人達に感謝して、自ら誓って言いました。

「我 若(モ)し、三蔵(サンゾウ)の理を通ぜず、三界の欲を断ぜず、六神通(ロクジンツウ)を得ず、八解脱(ハチゲダツ)具せずば、終に脇を以て席に至(ツ)けじ。」

「もし私が、一切経の教理に通ぜず、現世の欲を断たず、聖者の神通力を得ず、解脱の法を得ることが出来なければ、決して横になって休みません。」と。

(ソレ)より後、唯(タダ)日も足らず、経行(キンヒン)宴坐(エンザ)し、住立(ジュウリュウ)思惟(シユイ)す。昼は則(スナワチ)理教を研習し、夜は乃ち静慮(ジョウリョ)凝神(ギョウシン)す。

それから後、尊者はひたすら日を惜しみ、静かに歩いては坐り、立ち止まっては仏道を思惟しました。昼は経典を研究して学び、夜は静かに坐禅をしたのです。

三歳を綿歴(メンレキ)するに、学は三蔵(サンゾウ)を通じ、三界(サンガイ)の欲を断じ、三明(サンミョウ)の智を得る。時の人 敬仰(キョウゴウ)して、因みに脇尊者と号す。

そのようにして三年を経て、学は一切経に通じ、現世の欲を断ち、聖者の智慧を得たのです。そこで当時の人々は、尊者を讃え敬って脇尊者(横臥しない聖者)と名づけました。

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