袈裟功徳(16)

世尊(セソン)大衆(ダイシュ)に告(ツ)げて言(ノタマ)はく、我れ往昔(ソノカミ)宝蔵仏(ホウゾウブツ)の所(ミモト)に在(ア)りし時、大悲菩薩(ダイヒ ボサツ)たり。爾(ソ)の時に大悲菩薩摩訶薩(ダイヒ ボサツ マカサツ)、宝蔵仏の前(ミマエ)に在りて発願(ホツガン)して言(モウ)さく、

釈尊は修行者たちに話されました。「 私は、昔 宝蔵仏の所にいた時には大悲菩薩でした。その時、大悲菩薩であった私は、宝蔵仏の前で発願して言いました。

世尊、我れ成仏(ジョウブツ)し已(オワ)らんに、若(モ)し衆生(シュジョウ)有って、我が法中に入りて出家し、袈裟(ケサ)を著(ヂャク)する者、

世尊(宝蔵仏)よ、私が将来 仏となった時に、もし人々の中に、私の法の下で出家して袈裟を着ける者、

(アル)いは重戒を犯し、或いは邪見を行ひ、若しは三宝(サンボウ)に於いて軽毀(キョウキ)して信ぜず、諸(モロモロ)の重罪を集めん、比丘(ビク)比丘尼(ビクニ)、優婆塞(ウバソク)優婆夷(ウバイ)

或いは重い戒を犯し、或いは誤った考えを起こし、もしくは仏法僧の三宝を軽んじて信じることなく、多くの重い罪をかさねる僧や尼僧、在家信者の男女など、

若し一念の中に於いて、恭敬(クギョウ)の心を生じて、僧伽梨衣(ソウギャリエ)を尊重(ソンジュウ)し、恭敬の心を生じて、世尊 或いは法僧を尊重せん

これらの人たちが、もし、少しでも心の中に敬いの心を起こして、大衣の袈裟を尊重し、また、世尊(仏)や法、僧を尊重するならば、

世尊、是(カク)の如くの衆生、乃至(ナイシ)一人も、三乗に於いて記莂(キベツ)を受くることを得ずして、而(シカ)も退転(タイテン)せば、

世尊(宝蔵仏)よ、これらの人々の中に一人でも、声聞(仏の説法を聞いて修行する者)、縁覚(縁起の法を観じて修行する者)、菩薩(布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧を行じて修行する者)であって、将来には仏となるであろうという予言を受けられずに、修行を退いてしまう者があれば、

(スナワ)ち十方世界の、無量無辺阿僧祇(ムリョウ ムヘン アソウギ)等の、現在の諸仏を欺誑(ゴオウ)すと為(ナ)す。

それは、全世界の数限りないすべての諸仏を、私は欺くことになります。

必定(ヒツジョウ)して阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラ サンミャク サンボダイ)を成(ジョウ)ぜじ。

もしそうであれば、私は決して仏の悟りを成就することはありません。

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