袈裟功徳(34)

しかあればすなはち、この糞掃衣(フンゾウエ)は、人 天 龍 等のおもくし、擁護するところなり。これをひろうて袈裟をつくるべし。これ最第一の浄財(ジョウザイ)なり、最第一の清浄(ショウジョウ)なり。

そのために、この糞掃衣は、人間、天人、龍神などが重んじて守って来たのです。ですから、この糞掃(ぼろ布)を拾って袈裟を作りなさい。これが最も第一の清浄な衣材であり、最も第一の清浄な袈裟なのです。

いま日本国、かくのごとくの糞掃衣なし。たとひもとめんとすともあふべからず、辺地小国かなしむべし。

今の日本国には、このような糞掃衣はありません。たとえ求めようとしても出会うことが出来ないのです。この国が、糞掃衣の伝わらない辺地の小国であることは悲しいことです。

ただ檀那所施(ダンナ ショセ)の浄財、これをもちゐるべし。人天(ニンデン)の布施(フセ)するところの浄財、これをもちゐるべし。

ですから今は、ただ施主の施す清浄な衣材を用いて袈裟を作りなさい。人々の布施する清浄な衣材を用いて袈裟を作りなさい。

あるいは浄命(ジョウミョウ)よりうるところのものをもて、いちにして貿易(ムヤク)せらん、またこれ袈裟につくりつべし。

或いは、清浄な生活で得たものによって、市で衣材を買い求めて袈裟を作りなさい。

かくのごときの糞掃、および浄命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず。金銀珠玉(コンゴン シュギョク)、綾羅錦繍(リョウラ キンシュウ)等にあらず、ただこれ糞掃衣なり。

このようにして作った糞掃衣、清浄な生活で得た糞掃衣は、絹でも麻や綿でもありません。金銀 珠玉や綾羅 錦繍などでもなく、もっぱらこれは糞掃衣と言うべきものです。

この糞掃は、弊衣(ヘイエ)のためにあらず、美服のためにあらず、ただこれ仏法のためなり。

この糞掃衣は、破れ衣のためでも美服のためでもなく、ただ仏法のためにあるのです。

これを用著(ヨウチャク)する、すなはち三世の諸仏の皮肉骨髄(ヒニク コツズイ)を正伝(ショウデン)せるなり、正法眼蔵を正伝せるなり。

これを着用することは、過去 現在 未来の仏たちの皮肉骨髄を正しく伝えることであり、仏法の真髄を正しく伝えることなのです。

この功徳(クドク)、さらに人天に問著(モンジャク)すべからず、仏祖に参学すべし。

この袈裟の功徳を学ぶには、決して人々に尋ねてはいけません。このことは仏や祖師に学びなさい。

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