袈裟功徳(4)

この仏衣仏法の功徳、その伝仏正法の祖師にあらざれば、余輩(ヨハイ)いまだあきらめず、しらず。諸仏のあとを欣求(ゴング)すべくば、まさにこれを欣楽(ゴンギョウ)すべし。

この仏の袈裟と仏法の功徳は、仏の正法を伝える祖師でなければ、他の者では明らかにせず、知らないのです。ですから、諸仏の足跡を喜び求めるのなら、まさに仏の正法を伝える祖師を願い求めることです。

たとひ百千万代ののちも、この正伝を正伝とすべし。これ仏法なるべし、証験(ショウケン)まさにあらたならん。

たとえ百千万代の祖師の後であっても、この祖師の正しく伝えた仏法を、正しい伝統の仏法とすることです。これが仏法というものです。その証拠は、正にはっきりしていることでしょう。

水を乳にいるるに相似(ソウジ)すべからず、皇太子の帝位に即位するがごとし。

正法を受け継ぐには、乳を水で薄めるようなことをしてはいけません。皇太子が帝王に即位するように、正法をそのまま受け継ぐのです。

かの合水の乳なりとも、乳をもちゐんときは、この乳のほかにさらに乳なからんには、これをもちゐるべし。

その法が、水を混ぜた乳であったとしても、乳を使う時には、この他に乳がなければ、これを使うことです。

たとひ水を合せずとも、あぶらをもちゐるべからず、うるしをもちゐるべからず、さけをもちゐるべからず。

たとえ水を混ぜていなくても、油や漆や酒を使ってはいけません。

この正伝もまたかくのごとくならん。たとひ凡師の庸流(ヨウル)なりとも、正伝あらんは、用乳(ヨウニュウ)のよろしきときなるべし。

この正しい伝統の仏法も、これと同じです。たとえ平凡な師の門流であっても、正しい伝統の仏法であれば、この時には、この乳を使うことが良いのです。

いはんや仏仏祖祖の正伝は、皇太子の即位のごとくなるなり。

まして仏祖の正しい伝統の仏法は、皇太子が即位するように、すべてを受け継いできたものです。

俗なほいはく、先王の法服にあらざれば服せずと。仏子いづくんぞ仏衣にあらざらんを著せん。

俗人でさえ言っています、先王の着られた法服でなければ着ることは無いと。まして仏弟子が、どうして仏の袈裟でないものを着ることが出来ましょうか。

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