帰依三宝(6)

(きえ さんぼう)

  希有経(ケウキョウ)に曰(イハ)く、
「四天下
(シテンゲ)及び六欲天(ロクヨクテン)を教化(キョウケ)して、皆 四果(シカ)を得せしむとも、一人の三帰を受くる功徳(クドク)には如(シ)かず。」

  希有経には次のように説かれています。
「たとえ四天下(須弥山を中心とする東西南北の全地上世界)と六欲天(天上の欲楽世界に住む六種の天人)を教化して、皆に四果(一切の煩悩を断じた阿羅漢)を得させたとしても、それは一人の人が三帰戒(仏陀 仏法 僧団に帰依する戒)を受けた功徳には及ばない。」と。

四天下とは、東西南北洲なり。そのなかに、北洲は三乗の化(ケ)いたらざるところ、かしこの一切衆生を教化して、阿羅漢(アラカン)となさん、まことにはなはだ希有(ケウ)なりとすべし。

四天下とは、須弥山の四方に位置する世界で、東西南北の洲のことです。その中でも北洲は、仏の三乗(悟りに至る三つの乗り物。声聞乗、縁覚乗、菩薩乗のこと。)の教えの達しない所であり、そのすべての人々を教化して阿羅漢(一切の煩悩を断じた聖者)にすることは、実に甚だ希有なことと言えます。

たとひその益ありとも、一人ををしへて三帰をうけしめん功徳にはおよぶべからず。

しかし、たとえそのような利益があっても、一人を教えて三帰戒を受けさせた功徳には及ばないというのです。

また六天は、得道(トクドウ)の衆生まれなりとするところなり。かれをして四果をえしむとも、一人の受三帰(ジュサンキ)の功徳のおほくふかきにおよぶべからず。

また六欲天は、仏道を悟る人々が希な所であり、その人に四果(阿羅漢)を得させたとしても、一人の三帰戒を受けた功徳の多さ深さには及ばないのです。

  増一阿含経(ゾウイチアゴンギョウ)に云(イハ)く、
「忉利天子
(トウリテンシ)有り、五衰の相 現じ、当(マサ)に猪(チョ)の中に生ぜんとす。愁憂(シュウウ)の声、天帝に聞こゆ。

  また増一阿含経は次のように説いています。
「ある忉利天子の身体に五つの衰弱の相が現れて、猪の中に生まれそうになり、その憂いの声が天帝(帝釈天)に聞こえた。

天帝 之(コレ)を聞きて、喚び来たりて告げて曰く、汝 三宝に帰依すべし。即時(ソクジ)に教えの如(ゴト)くす。便(スナワ)ち猪に生ずることを免(マヌカ)れたり。

天帝はこの声を聞いて天子を呼び、「おまえは三宝に帰依しなさい。」と教えて言った。天子はすぐに教えに従い、猪に生まれることを免れることが出来た。

仏 偈(ゲ)を説いて言(ノタマ)はく、
諸有
(ショウ)仏に帰依すれば、三悪道に墜ちず、漏(ロ)尽きて人天(ニンデン)に処し、便ち当に涅槃(ネハン)に至るべし。三帰を受け已(オワ)りなば、長者の家に生じ、還(マ)た出家することを得て、無学(ムガク)を成ぜん。」

そこで仏(釈尊)は次の詩句を説かれた。
人々が仏に帰依すれば、三悪道(地獄 餓鬼 畜生)に落ちることなく、煩悩が尽きて人間界や天上界に生まれ、遂には涅槃(煩悩の滅)に達することであろう。三帰戒を受ければ長者の家に生まれ、また出家することを得て、更に学ぶべきことのない阿羅漢の悟りを成就することであろう。」と。

おほよそ帰依三宝の功徳、はかりはかるべきにあらず無量無辺なり。

このように、三宝に帰依する功徳は計り知れず、無量無辺なのです。

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