供養諸仏(24)

(くようしょぶつ)

第七に、財物(ザイモツ)を仏及び支提(シダイ)塔廟(トウビョウ)舎利(シャリ)に供養す。謂(イハ)く、財に三種有り。
一には資具供養
(シグ クヨウ)。謂く、衣食(エジキ)等なり。
二には敬具供養
(キョウグ クヨウ)。謂く、香華(コウゲ)等なり。
三には厳具供養
(ゴング クヨウ)。謂く、余(ヨ)の一切の宝荘厳(ホウ ショウゴン)等なり。

第七、財物を仏や仏の霊廟、塔廟、舎利(仏の遺骨)に供養する。その財物には次の三種類がある。
一は生活資具を供養する。衣食などである。
二は敬意の具を供養する。香や花などである。
三は荘厳の具を供養する。その他のあらゆる装飾品などである。

第八に勝供養(ショウ クヨウ)。勝に三種有り。
一には専ら種々の供養を設く。
二には純浄
(ジュンジョウ)の信心(シンジン)。仏徳(ブットク)の重きを信じ、理 供養に合(カナ)ふ。
三には廻回心
(エコウシン)。仏を心中に求めて供養を設く。

第八に勝供養(すぐれた供養)。勝供養には次の三種類がある。
一は専ら種々のものを供養する。
二は清浄な信心。仏の功徳は得難いものであると信じ、道理に適った供養をする。
三は回向心(自らの善根功徳を人々に回らし施す心)。仏を心の中に求めて供養をする。

第九に無染供養(ムゼン クヨウ)。無染に二有り。
一には心無染
(シン ムゼン)、一切の過(カ)を離る。
二には財物無染
(ザイモツ ムゼン)、非法の過を離る。

第九は無染供養(汚れに染まらない供養)。無染には次の二つがある。
一は心の無染(心が汚れていないこと)。心が一切の過ちを離れていることである。
二は財物の無染(財物が汚れていないこと)。財物が非法の過ちを離れていることである。

第十に至処道供養(シショドウ クヨウ)。謂く、供養 果に順(シタガ)ふを、至処道供養と名づく。
仏果
(ブッカ)は是れ其の所至之処(ショシノ トコロ)、供養之行(クヨウノ ギョウ)は、能(ヨ)く彼(カ)の処に至るを至処道と名づく。

第十は至処道供養(仏道修行による供養)。仏道修行の成果によって供養することを至処道供養と名づける。
仏の悟りは、我々の至るべき所であり、供養を行えばその所に至ることが出来るので至処道と名づける。

至処道供養を、或は法供養(ホウ クヨウ)と名づけ、或は行供養(ギョウ クヨウ)と名づく。中に就きて三有り。
一には財物供養
(ザイモツ クヨウ)を、至処道供養と為す。
二には随喜供養
(ズイキ クヨウ)を、至処道供養と為す。
三には修行供養
(シュギョウ クヨウ)を、至処道供養と為す。

至処道供養を、ある人は法の供養と名づけ、ある人は行の供養と名づけている。この中には三つがある。
一に、財物の供養(仏 法 僧に財物を供養すること)を至処道供養という。
二に、随喜の供養(仏 法 僧を喜んで供養すること)を至処道供養という。
三に、修行の供養(仏道を修行して供養すること)を至処道供養という。

仏を供養すること、既に此の十供養有り。法に於ても僧に於ても、類するに亦(マタ)同然なり。
謂く、供養法とは、仏所説の理教行法に供養し、并びに経巻に供養す。
供養僧とは、謂く、一切の三乗の聖衆、及び其の支提、并びに其の形像、塔廟及び凡夫僧に供養す。

仏を供養するには、このような十種の供養がある。これは法の場合でも僧の場合でも、その種類は同じである。
法を供養するとは、仏(釈尊)の説かれた理法、教法、行法に供養することであり、また経巻を供養することである。
僧を供養するとは、すべての三乗(声聞乗、縁覚乗、菩薩乗)の聖者たちやその霊廟、その形像、塔廟や凡夫僧を供養することである。

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