出家功徳(18)

第十七祖 僧伽難提尊者(ソウギャナンダイ ソンジャ)は、室羅閥城(シラバジョウ) 宝荘厳王(ホウショウゴンオウ)の子なり。生まれて能(ヨ)く言(モノイ)ひ、常に仏事を讃(ホ)む。七歳にして即ち世楽を厭ひ、偈(ゲ)を以て其の父母に告げて曰く、

釈尊から第十七代目の祖師、僧伽難提尊者は、コーサラ国の首都、シラバ城の宝荘厳王の子である。生まれてすぐに言葉を話し、常に仏の教化を褒めたたえていたと言われる。七才の時、世の楽しみを嫌って、詩で父母に告げた。

「稽首(ケイシュ)す大慈父、和南(ワナン)す骨血の母。我今出家せんと欲(ネガ)ふ、幸願(コイネガ)はくは哀愍したまふが故に。」

「深く尊敬いたします慈悲深き父よ、深く敬愛いたします生みの母よ。私は今出家を願っています。どうか私を哀れみたまい、これをお許しください。」

父母 固く之(コレ)を止(トド)む。遂に終日食らわず。乃ち其の家に在りて出家せんことを許(ユル)す。僧伽難提と号(ナヅ)く。復 沙門(シャモン) 禅利多(ゼンリタ)に命じて、之が師たらしむ。

父母は子の出家を固く制止した。すると子は終日食事をとらなかった。そこで、家に居るままでの出家を許し、僧伽難提と名づけた。また沙門の禅利多に命じて子の師にあてた。

十九載を積むに、未だ嘗て退倦(タイケン)せず。尊者 毎(ツネ)に自ら念じて言く、「身 王宮に居す、胡(ナン)ぞ出家たらん。」

その後の十九年間、尊者は修行を怠ることはなかった。しかし尊者は、いつも心に思っていた。「私は今王宮に住んでいる、これで出家といえようか。」

一夕(イッセキ) 天光下り属し、一路坦平(タンビョウ)なるを見る。覚えず徐ろに行くこと約十里許りにして、大巌の前に至るに石窟有り。乃ち中に燕寂(エンジャク)せり。

ある日の夕方、天空から光が射して、ひとすじの平坦な道が見えた。我知らずその道を十里ほど歩いていくと大きな岩があり、そこに石窟があった。尊者はその中に入り、静かに禅定にはいった。

父 既に子を失ひ、即ち禅利多を擯(ヒン)し、国を出でて其の子を訪尋(ホウジン)せしむるに、所在を知らず。十年を経(ヘ)るに、尊者 得法授記し已りて、行化して摩提国(マダイコク)に至る。

父は子がいなくなったので、ただちに師の禅利多を退け、国を出てその子を探し尋ねたが、所在を知ることはできなかった。その後十年が過ぎて、尊者は十六祖 羅睺羅多尊者(ラゴラタ ソンジャ)の得法の証明を受け終わって、遊行教化しながらマダイ国にやって来た。

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