出家功徳(22)

しるべし、如来世尊、あきらかに衆生の断善根となるべきをしらせたまふといへども、善因をさずくるとして、出家をゆるせたまふ。大慈大悲(ダイズ ダイヒ)なり。

知ることです。如来世尊は、明らかに善根を断つ人々を知っておいでになるのですが、そのような人でも、善因を授けるために出家を許されたのです。これは如来の大慈悲心からなのです。

断善根となること、善友にちかづかず、正法をきかず、善思惟せず、如法に行ぜざるによれり。いま学者、かならず善友に親近(シンゴン)すべし。

人々が善根を断つ原因は、善い友に親しまず、正法を聞かず、善い考えをせず、法のように行じないことにあります。今 仏道を学ぶ人は、必ず善い友に親しみなさい。

善友とは、諸仏ましますととくなり、罪福ありとをしふるなり。因果を撥無(ハツム)せざるを善友とし、善知識とす。

善い友とは、諸仏はいらっしゃると説く人であり、悪行には罪報があり 善行には福報があると教える人です。因果の道理を無視しない人を善い友といい、善い師というのです。

この人の所説、これ正法なり。この道理を思惟する、善思惟なり。かくのごとく行ずる、如法行なるべし。

この人の説く教えは正法であり、この道理を思惟することは善い考えであり、このように行じることは法に適った行いなのです。

しかあればすなはち、衆生は親疏(シンソ)をえらばず、ただ出家受戒をすすむべし。のちの退不退をかへりみざれ、修不修をおそるることなかれ。これまさに釈尊の正法なるべし。

ですから人々の親疎を選ばず、もっぱら出家受戒を勧めなさい。その後の修行が続くか続かないかを顧みてはいけません。精進不精進を気に掛けてはいけません。これはまさに釈尊の説かれた正法なのです。

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