出家功徳(3)

(マタ)次に、仏法の中の出家人、破戒して罪に堕すと雖も、罪畢(オワッ)て解脱を得ること優鉢羅華比丘尼(ウッパラゲ ビクニ)本生経(ホンショウキョウ)の中に説くが如し。仏在世の時、此の比丘尼、六神通(ロクジンツウ)阿羅漢(アラカン)を得たり。

また次に、仏法の中で出家した人が、破戒して罪に堕ちても、罪が終われば解脱を得ることは、優鉢羅華比丘尼 本生経の中に説かれている通りである。この尼僧は、釈尊 在世の時に、六神通と聖者の悟りを得たのである。

貴人の家に入って、常に出家の法を讃(ホメ)て、諸の貴人婦女に語て言(イワ)く。
「姉妹出家す可し。」
諸の貴婦人言く、「我等少壮にして、容色盛美なり、持戒を難しと為
(ナ)す、或(アルイ)は当(マサ)に破戒すべし。」

この尼僧は、貴人の家に入っては いつも出家の修行を褒めたたえて、貴婦人たちに次のように語って出家を勧めたのである。
尼僧、「どうぞ、あなたがた出家しなさい。」
貴婦人、「私らはまだ若くて見目麗しいので、出家の戒を保つことは困難です。きっと戒を破ってしまうことでしょう。」

比丘尼(ビクニ)の言く、「戒を破せば便(スナワ)ち破せよ、但(タダ)出家すべし。」
問うて言く、「破戒せば当に地獄に堕す、云何
(イカン)が破す可き。」
答えて言く、「地獄に堕せんことは便
(スナワ)ち堕すべし。」
諸の貴婦女 之
(コレ)を笑て言く、「地獄にしては罪を受く、云何(イカン)が堕す可き。」

尼僧、「戒を破ってしまうのなら 破ってもいいのですよ。ですから出家しなさい。」
貴婦人、「しかし戒を破れば地獄に落ちるのでしょう。どうして破っていいものでしょうか。」
尼僧、「地獄に落ちるのなら落ちればいいのですよ。」
貴婦人たちは、これを聞いて笑って言うに、「地獄では罰を受けるのでしょう。どうして落ちていいものでしょうか。」

比丘尼言く、「我(ワレ)自ら宿命(シュクミョウ)に本づいて憶念(オクネン)する時、戯女(ケニョ)と作(ナ)りて種々の衣服を著(ヂャク)して而(シカ)して旧語を説く。或る時比丘尼衣(ビクニエ)を著して、以て戯笑(ケショウ)を為す。是の因縁を以ての故に、迦葉仏(カショウブツ)の時に、比丘尼と作(ナ)る。

そこで尼僧は次のような話しをした。
「私は、自分の前世を思い起こすと、遊女になっていろいろな服を着て、お客に親しく声をかけていたことがあります。そんなある時、尼僧の衣を着けて笑いふざけたことがありました。この因縁によって、私は迦葉仏が世に出られた時に、出家して尼僧となったのです。

自ら貴姓(キショウ)端正なるを恃(タノ)んで心に驕慢(キョウマン)を生じて而して禁戒を破す。破禁戒罪の故に、地獄に堕して種々の罪を受く。受け畢(オワッ)て竟(ツイ)に、釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)に値(ア)うて出家し、六神通(ロクジンツウ)阿羅漢道(アラカンドウ)を得たり。

しかし、自分が高貴な生まれであることや、容姿が美しいことに慢心して、出家の禁戒を破りました。その後、禁戒を破った罪によって私は地獄に落ち、様々な罰を受けました。罰を受け終わると、私はついに釈迦牟尼仏に出会って出家し、六神通と聖者の悟りを得たのです。

是を以ての故に知りぬ、出家受戒せば、復(マタ)破戒すと雖(イエド)も、戒の因縁を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但(タダ)悪を作(ナ)して戒の因縁無からんには、道を得ざるなり。

この経験から分かったことは、出家して戒を受ければ、たとえ破戒したとしても、戒を受けた因縁によって聖者の悟りが得られるということです。もしただ悪事をなすばかりで、出家の戒を受ける因縁が無ければ、解脱の道は得られないのです。

(ワレ)(スナワ)ち昔時(ソノカミ)、世世に地獄に堕し、地獄より出ては悪人為(タ)り。悪人死して還(マ)た地獄に入る、都(スベ)て所得(ショトク)無し。今此れを以て証知(ショウチ)するに、出家受戒は、復(マタ)破戒すと雖も、是の因縁を以て、道果(ドウカ)を得可(ウベ)し。

私はその昔、世に生まれる度に地獄に落ち、また地獄を出ては悪事をなす人間でした。悪人は、死んではまた地獄に入って、まったく利益がありません。今、これを振り返って分かったことは、出家して戒を受ければ、たとえ破戒したとしても、戒を受けた因縁によって、仏道の悟りを得ることが出来るということです。」

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