行持 下(2)

初祖、金陵(キンリョウ)にいたりて梁武(リョウブ)と相見(ショウケン)するに、梁武とふ。
「朕
(ワレ)、即位より已来(コノカタ)、寺を造(ツク)り、経を写し、僧を度すること、勝(ア)げて紀(キ)すべからず、何の功徳か有る。」
師曰く、「並びに功徳無し。」

初祖 達磨は、金陵に到着して梁の武帝にまみえると、武帝は尋ねました。
「私は即位して以来、寺を建て、経を写し、僧を度するなど、全て書ききれないほど仏法に尽くして来たが、これによってどんな功徳があるであろうか。」
師は答えて、「すべて功徳はございません。」

帝曰く、「何の以(ユエ)にか功徳無き。」
師曰く、「此
(コ)れは但(タダ)人天の小果、有漏(ウロ)の因なり。影の形に随ふが如し、有りと雖も実に非ず。」

武帝尋ねるに、「なぜ功徳が無いのか。」
師答えて、「このようなことで得られるものは、人間界や天上界に於ける小さな果報であり、煩悩の原因となるものです。影が形あるものに従うように、有るとしても真実のものではございません。」

帝曰く、「如何(イカ)なるか是れ真の功徳。」
師曰く、「浄智妙円
(ジョウチ ミョウエン)にして、体(タイ)(オノズカ)ら空寂(クウジャク)なり。是(カク)の如くの功徳は、世を以て求めず。」

武帝尋ねるに、「それでは、まことの功徳とは、どのようなものか。」
師答えて、「清浄な智慧がまどかに具わって、安らかな静寂が得られることでございます。このような功徳は、世間で求めることは出来ません。」

帝又問う、「如何(イカ)ならんか是れ聖諦第一義諦(ショウタイ ダイイチギタイ)。」
師曰く、「廓然無聖
(カクネン ムショウ)。」

武帝また尋ねるに、「では聖人の悟った真理とはどのようなものか。」
師答えて、「心がからりと開けて凡人も聖人も無いことです。」

帝曰く、「朕(ワレ)に対する者は誰(タ)そ。」
師曰く、「不識
(フシキ)。」
帝、領悟
(リョウゴ)せず。師、機の不契(フケイ)なるを知る。

武帝尋ねるに、「凡人も聖人もないのなら、あなたは一体何者なのか。」
師答えて、「知りませぬ。」
武帝は師の言葉を悟らず、師もまた武帝とは因縁が適わないことを知りました。

ゆゑにこの十月十九日、ひそかに江北にゆく。そのとし十一月二十三日、洛陽(ラクヨウ)にいたりぬ。

そこで師は、この十月十九日に密かに揚子江の北へ行き、その年の十一月二十三日には洛陽に到着しました。

嵩山(スウザン)少林寺に寓止(グウシ)して、面壁而坐(メンペキ ニザ)、終日黙然(シュウジツ モクネン)なり。しかあれども、魏主(ギシュ)も不肖(フショウ)にしてしらず、はぢつべき理もしらず。

そして、嵩山の少林寺に留まって壁に向かって坐し、終日黙然としていました。しかし、魏の国主も愚かで達磨のことを知らず、それを恥とすべき道理も知りませんでした。

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