行持 下(3)

師は南天竺(ナンテンジク)の刹利種(セツリシュ)なり、大国の皇子(オウジ)なり。大国の王宮(オウグウ)、その法ひさしく慣熟(カンジュク)せり。

初祖 達磨は、南インドの王族の出身であり、大国の皇子です。大国の王宮では、その法が久しく習熟しています。

小国の風俗は、大国の帝者(テイシャ)に為見(イケン)のはぢつべきあれども、初祖うごかしむるこころあらず。

小国の風俗は、そのような大国の帝王に見られて、恥ずかしいこともありますが、初祖は心を動じませんでした。

くにをすてず、人をすてず。ときに菩提流支(ボダイルシ)の訕謗(センボウ)を救せず、にくまず。光統律師(コウヅリッシ)が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。

この国を捨てず、人々を捨てず。時に菩提流支の誹謗を受けても相手にせず、憎まず。また光統律師の邪心を恨むことなく、聞くこともなかったのです。

かくのごとくの功徳(クドク)おほしといへども、東地の人物、ただ尋常の三蔵および経論師のごとくにおもふは、至愚(シグ)なり、小人(ショウジン)なるゆゑなり。

初祖には、このような功徳が多いのですが、東地(中国)の人間が、もっぱら普通の三蔵の師や経文を講じる師のように思ったことは、まことに愚かでした。小人であったためです。

あるひはおもふ、禅宗とて一途(イチヅ)の法門を開演するが、自余(ジヨ)の論師等の所云(ショウン)も、初祖の正法(ショウボウ)もおなじかるべきとおもふ。これは仏法を濫穢(ランエ)せしむる小畜(ショウチク)なり。

ある人が思うには、「禅宗と言って一つの教えを説いてはいるが、そのほかの経論の師たちの言う所も、初祖の説く正法も、結局同じものであろう。」と。 これは仏法を妄りに汚す愚か者の考えです。

初祖は釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)より二十八世の嫡嗣(テキシ)なり。父王の大国をはなれて、東地の衆生(シュジョウ)を救済(グサイ)する、たれのかたをひとしくするかあらん。

初祖は、釈尊から二十八代目の正統な後継者です。父王の大国を離れて、東地の人々を救済した初祖に、誰が肩を並べる者でしょうか。

もし祖師西来(ソシ セイライ)せずば、東地の衆生、いかにしてか仏正法を見聞(ケンモン)せむ。いたづらに名相(ミョウソウ)の沙石(シャセキ)にわづらふのみならん。

もし初祖がインドから来なければ、東地の人々は、どうして仏の正法を見聞することが出来たでしょうか。ただ徒に無数の経文の教えに煩っているだけであったでしょう。

いまわれらがごときの辺地遠方(ヘンチ オンポウ)の披毛戴角(ヒモウ タイカク)までも、あくまで正法をきくことえたり。

現在、我々のような辺地遠方に住む、毛に覆われ角を載せた未開の者まで、存分に正法を聞くことが出来ます。

いまは田夫農夫(デンプ ノウフ)、野老村童(ヤロウ ソンドウ)までも見聞する、しかしながら祖師航海の行持にすくはるるなり。

今では農夫や、村の老人から子供に至るまで仏法を見聞していますが、これは要するに、初祖が航海して法を伝えた行持に救われているのです。

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